尾張国分寺跡とは? わかりやすく解説

尾張国分寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 14:40 UTC 版)

尾張国分寺」の記事における「尾張国分寺跡」の解説

古代国分僧寺遺構(尾張国分寺跡)は、現国分寺から南方900メートル愛知県稲沢市矢合町木にある寺院とされる北緯3514分0.04秒 東経13646分25.01秒 / 北緯35.2333444度 東経136.7736139度 / 35.2333444; 136.7736139 (尾張国分寺跡))。三宅川左岸自然堤防上に位置し北北東4キロメートルには尾張国推定地尾張大国霊神社付近)が所在する寺域東西200メートル南北300メートル以上と推定されるが、確定には至っていない。これまでの調査では、金堂講堂・塔の遺構が見つかっている。伽藍配置としては金堂講堂南大門推定)が南北一直線並び金堂左右に回廊取り付く見られ、その回廊外の東方に塔を配する詳細それぞれ次の通り金堂 瓦積基壇で、東西25.6メートル南北21.6メートル真北から西に約6度傾く。 講堂 瓦積基壇であるが、規模不明真北から西に1度傾く。礎石2個が検出されている。 塔 瓦積基壇で、14.7メートル四方真北から西に約6度傾く。基壇たたきしめが弱いことから、創建時七重塔ではなく再建時の三重塔(または五重塔)の遺構考えられている。心礎を含む礎石4個が残る。 2014年現在では遺構多く民有地所在するため、整備はなされておらず、塔の遺構以外は明示されていない。塔の遺構においては礎石4個が残るとともに大正期に「尾張國分寺舊址」碑が建てられている。なお、他に中門南大門回廊遺構は見つかっていない(回廊一部のみ検出)が、推定寺域内からは大量の瓦が出土している。 伝承では、旧国分寺の東西南北には「四楽寺」と呼ばれる末寺があったといわれ、北方安楽寺船橋町北緯3514分41.01秒 東経13646分18.46秒 / 北緯35.2447250度 東経136.7717944度 / 35.2447250; 136.7717944 (安楽寺(伝国分寺北方末寺)))、東方平楽寺廃寺小寺遺跡平野町)、南方長楽寺(現・長暦寺、福島町北緯3513分26.65秒 東経13646分30.67秒 / 北緯35.2240694度 東経136.7751861度 / 35.2240694; 136.7751861 (長暦寺(伝国分寺南方末寺)))、西方正楽寺廃寺正楽寺遺跡儀長町北緯3514分14.86秒 東経13645分57.82秒 / 北緯35.2374611度 東経136.7660611度 / 35.2374611; 136.7660611 (正楽寺阯碑(伝国分寺西方末寺)))がこれらにあたるとされる

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