尾張国分寺跡
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古代の国分僧寺の遺構(尾張国分寺跡)は、現国分寺から南方約900メートルの愛知県稲沢市矢合町中椎ノ木にある寺院跡とされる(北緯35度14分0.04秒 東経136度46分25.01秒 / 北緯35.2333444度 東経136.7736139度 / 35.2333444; 136.7736139 (尾張国分寺跡))。三宅川左岸の自然堤防上に位置し、北北東4キロメートルには尾張国府推定地(尾張大国霊神社付近)が所在する。寺域は東西約200メートル・南北約300メートル以上と推定されるが、確定には至っていない。これまでの調査では、金堂・講堂・塔の遺構が見つかっている。伽藍配置としては金堂・講堂・南大門(推定)が南北一直線に並び、金堂左右には回廊が取り付くと見られ、その回廊外の東方に塔を配する。詳細はそれぞれ次の通り。 金堂 瓦積基壇で、東西25.6メートル・南北21.6メートル。真北から西に約6度傾く。 講堂 瓦積基壇であるが、規模は不明。真北から西に1度傾く。礎石2個が検出されている。 塔 瓦積基壇で、14.7メートル四方。真北から西に約6度傾く。基壇のたたきしめが弱いことから、創建時の七重塔ではなく再建時の三重塔(または五重塔)の遺構と考えられている。心礎を含む礎石4個が残る。 2014年現在では遺構の多くは民有地に所在するため、整備はなされておらず、塔の遺構以外は明示されていない。塔の遺構においては、礎石4個が残るとともに大正期に「尾張國分寺舊址」碑が建てられている。なお、他に中門・南大門・回廊の遺構は見つかっていない(回廊は一部のみ検出)が、推定寺域内からは大量の瓦が出土している。 伝承では、旧国分寺の東西南北には「四楽寺」と呼ばれる末寺があったといわれ、北方の安楽寺(船橋町、北緯35度14分41.01秒 東経136度46分18.46秒 / 北緯35.2447250度 東経136.7717944度 / 35.2447250; 136.7717944 (安楽寺(伝国分寺北方末寺)))、東方の平楽寺(廃寺:小寺遺跡、平野町)、南方の長楽寺(現・長暦寺、福島町、北緯35度13分26.65秒 東経136度46分30.67秒 / 北緯35.2240694度 東経136.7751861度 / 35.2240694; 136.7751861 (長暦寺(伝国分寺南方末寺)))、西方の正楽寺(廃寺:正楽寺遺跡、儀長町、北緯35度14分14.86秒 東経136度45分57.82秒 / 北緯35.2374611度 東経136.7660611度 / 35.2374611; 136.7660611 (正楽寺阯碑(伝国分寺西方末寺)))がこれらにあたるとされる。
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