尾張品野長江氏
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美濃今須から尾張春日井郡の落合城に入った利景は、美濃国主斎藤氏の武将となり桑下城を築いた。その後品野城主となった利景は、阿弥陀ヶ峰城を築き文明14年(1482年)清州の織田氏の下の今村城主松原広長と戦い勝利したため現在の瀬戸市一帯を得た。しかし16世紀に入り、瀬戸一帯は松平清康(徳川家康祖父)によって支配される。享禄2年以降、利景は永井民部と名乗り松平氏の家老となった。その後景利・景隆と続いたが、天文4年(1534年)の松平清康暗殺に伴い、松平氏は品野から撤退し弘治3年(1557年)には今川義元の管理下に置かれ、永禄3年(1560年)に松平家が入ったが、桶狭間の戦いの前哨戦で落合城、桑下城、品野城とも織田信長の攻撃により落城し、品野長江氏は織田信長に仕えることになった。しかし織田信長の怒りに触れて蜂須賀氏に仕えた。子孫は蜂須賀家が徳島藩を立藩した後も従い藩で重臣となった。一方で一族全てが品野を離れた訳ではなく、現在も愛知県は全国で最も長江姓が多い県になっている。
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