尾張伊東氏とは? わかりやすく解説

尾張伊東氏(河津氏)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 03:41 UTC 版)

伊東氏」の記事における「尾張伊東氏(河津氏)」の解説

詳細は「河津氏」を参照 江戸時代備中国岡田藩立藩した尾張伊東氏は、日向国伊東氏同族であるという。 岡田藩初代藩主である伊東丹後守実の実父伊東清蔵長久が、尾張国岩倉土着していた事が知られている。ただ、長久以前については定かではない

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尾張伊東氏(備中岡田藩主家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 14:13 UTC 版)

河津氏」の記事における「尾張伊東氏(備中岡田藩主家)」の解説

源頼朝伊東祐清から命を助けられ恩義生涯忘れなかった。頼朝は、祐清遺児祐光伊東荘を与えている。祐光玄孫・祐熙は足利尊氏から先祖代々の地である久須見・伊東河津の地を与えられた。 祐熙の子孫である伊東祐之長久)は織田信長仕え、その息子・長実は豊臣秀吉家臣となり、天正19年1591年)に備中国川辺1万300石を与えられ大名となる。長実は秀吉息子・秀頼にも仕え大坂の陣でも豊臣方として馳せ参じる。しかし、長実は嘗て関ヶ原の戦い石田三成挙兵いち早く徳川家康知らせた功によって、徳川家康から豊臣方加わった罪を許されている。そして。元和元年1615年)、備中下道郡美濃国池田郡摂津国豊島郡河内国高安郡の各郡内10,343石を与えられ立藩した。これが備中岡田藩である。 なお、日向国飫肥藩伊東氏(祐経の子孫)を日向伊東氏と呼ぶのに対し備中国岡田藩伊東氏を尾張伊東氏と呼ぶ。

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