宿敵と61
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 22:18 UTC 版)
翌1961-62シーズンも引き続きベイラーは好調を維持。ベイラーのキャリアにおいてハイライトの一つにあげられる12月8日のフィラデルフィア・ウォリアーズ戦では、フィラデルフィアの怪物、チェンバレンがベイラーの記録を破る78得点をあげたのに対し、負けじとベイラーも63得点31リバウンドをあげ、トリプルオーバータイムの末にレイカーズを勝利に導いた。ベイラーはこの時正に全盛期の只中に居たが、この貴重な時期をベイラーは「軍の召集」によって奪われ、ベイラーは平日の大半をワシントン州フォートルイスにある陸軍基地で過ごし、レイカーズの試合には週末だけ出場することになった。フォートルイスとロサンゼルスをバスで行き来する日々を強いられたベイラーだったが、試合では移動と二重生活の疲れを微塵も見せず、シーズン成績は平均38.3得点(キャリアハイ)18.6リバウンド4.6アシストという素晴らしい数字を記録。また2年目のジェリー・ウェストがいよいよ頭角を現し、彼はこのシーズン平均30.8得点を記録。合わせてほぼ70得点をあげるベイラーとウェストのデュオはリーグ最強のワンツー・パンチとして周囲に恐れられるようになった。またベイラーの不在をルディー・ラルッソやフランク・セルヴィらが良く埋め、レイカーズはベイラー入団後かつてない好調なシーズンを送り、チーム初の50勝到達となる54勝26敗をあげた。ベイラーは48試合の出場に留まったものの4年連続となるオールNBA1stチームに選ばれ、同時にウェストも1stチーム入りを果たしている。このシーズン、宿敵のホークスが低迷したため、レイカーズはベイラー入団後初のプレーオフ第1シードを獲得。デビジョン決勝にてこれで4年連続の対決となるピストンズを4勝2敗で破り、3年ぶりのファイナル進出を決めた。 そしてファイナルの地で待っていたのが、当時ファイナル3連覇中だったボストン・セルティックスだった。前回の対戦、ほぼベイラーのワンマンチームだったレイカーズは成す術なくセルティックスの前に散ったが、ウェストという強力な新戦力を得た今回、レイカーズは王者セルティックス相手にも堂々と渡り合った。ボストンでの最初の2試合を1勝1敗で切り抜けたレイカーズは、15,180人という当時としては記録的な観衆が詰め掛けたロサンゼルスのスポーツ・アリーナでの試合では、同点で迎えた残り時間3秒で、ウェストがスティールからの劇的な決勝ブザービーターを決め、117-115でレイカーズが勝利。この瞬間の熱狂は興奮した観客が暴動を起こすほどだった。レイカーズはファイナルで初めてセルティックスに対し1勝分リードしたが、続く第4戦はセルティックスが勝利し、2勝2敗でボストン、ザ・ガーデンでの第5戦を迎える事になった。この敵地で、ベイラーは一世一代のパフォーマンスを見せる。彼はこの試合で61得点22リバウンドを記録。61得点は当時のプレーオフ新記録であり(現在はマイケル・ジョーダンの63得点に次ぐ歴代2位)であり、今もなお破られていないファイナル史上歴代1位の記録である。この日、ベイラーとマッチアップしたディフェンスの名手サッチ・サンダースは「まるで機械のようだった」とベイラーのプレーに舌を巻いたが、当の本人は試合後のインタビューで「覚えているのは試合に勝ったことだけ。自分が何点取ったかなんて全く頭になかったよ」と答えている。ベイラーの圧倒的なプレーで重要な第5戦を126-121で勝利したレイカーズは、ついにファイナル制覇に王手を掛けたが、しかしロサンゼルスに戻った第6戦を落としてしまい、天王山の第7戦を敵地ボストンで迎えた。絶対に負けられないこの試合でベイラーは奮戦し、セルティックスが誇るトム・ヘインソーン、サッチ・サンダース、ジム・ロスカトフら3人の好フォワードのマークを物ともせずに次々と得点をあげ、ついにはヘインソーンをファウルアウトに追いやった。試合は終盤までもつれにもつれた激戦となり、100-100の同点で残り5秒を迎えた。タイムアウトを挟んでレイカーズのスローイン。セルティックスはこの日も大活躍のベイラーとウェストを徹底マークしたが、左ベースライン際に立つレイカーズのフランク・セルヴィがフリーとなる。ボールを受け取ったセルヴィは7~8フィートの位置から、見通しのよいゴールに向けてジャンプショットを放った。伝説の8連覇時代のセルティックス最大の危機の場面であり、60年代のレイカーズが最も優勝に近づいた瞬間だったが、ボールはネットを揺らさなかった。このとき、ベイラーはゴールの直下におり、ボールがバスケットを通過しないとみるやタップするためにすぐにジャンプしたが、ボールはまだリムから落ち切っておらず(この時にボールに触れてしまうと、ボールをバスケットに入れても得点は無効となる)、ベイラーはボールに触れることができないまま地面に着地してしまった。その直後にラッセルが跳び、彼はリムから零れるボールを確保。観客の悲鳴と安堵の溜息と共にブザーが鳴り、試合はオーバータイムへ突入した。レイカーズはオーバータイムでついに力尽き、107-110で敗北。ベイラーとレイカーズの優勝の夢は儚く散ったが、1962年のファイナルはベイラーの61得点を筆頭に多くの名場面が刻まれた名シリーズとなった。 軍から解放された1962-63シーズン、ベイラーは80試合全てに出場し、平均34.0得点(リーグ2位)14.3リバウンド(同5位)4.8アシスト(同6位)、FT成功率83.7%(第3位)を記録。主要スタッツ4部門でリーグトップ6入りを果たすという快挙を達成した。チームはウェストがシーズン終盤に怪我で離脱するも53勝27敗と前年に引き続き50勝以上を維持。ウェストはプレーオフには間に合い、デビジョン決勝でホークスを破って2年連続でファイナルに進出、セルティックスと3度目の対決を迎えた。1勝3敗と苦境に立たされた状況で迎えたボストンでの第5戦では、ベイラーが43得点、ウェストが32得点と爆発し、126-119でレイカーズが勝利。レイカーズの逆転優勝を期待して止まないレイカーズファンは、第6戦が行われるスポーツ・アリーナに大挙して押し寄せた。しかしすでにチケットは完売しており、中に入れないと知ったおよそ5,000人のレイカーズファンの間で暴動が発生し掛けたため、レイカーズ経営陣は急遽監視カメラを使用してのテレビ観戦シートを用意し、チケットを2.5ドルで販売して騒動を治めた(当時、テレビによるNBAの試合中継はまだ極僅かであり、レイカーズGMのルー・モーズはこれを「テレビ有料放送の実験になった」と語っている)。このようにロサンゼルス市民から熱烈な応援を受けて第6戦は始まったが、しかしレイカーズは彼らの期待に応えられなかった。試合は112-109でセルティックスが勝利し、レイカーズとベイラーは2年連続、3回目のファイナル敗退を経験した。
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