宿敵シティをアメリカと破る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 05:31 UTC 版)
「アビバ (保険会社)」の記事における「宿敵シティをアメリカと破る」の解説
モーゲージ貸付はノリッジ・ユニオンの伝統的な業務であったが、戦後直後に制限されたので、住宅のローンおよび総合保険を大々的に売り込んだ。1949年まで毎年700万ポンドを貸付け、1955年までにモーゲージは総資産の46%を占めた。 1962年12月、コンチネンタル・コーポレーション(Continental Corporation)がノリッジ・ユニオン火災のアメリカ事業を買収した。1963年、保守党のマンクロフト卿(Stormont Mancroft, 2nd Baron Mancroft)がユダヤ人であるという理由でノリッジ・ユニオンの重役から降ろされた。シティ・オブ・ロンドンとヨーロッパの金融戦争がもう始まっていた。 1976年、リーガル&ジェネラルが南ア総合保険事業をノリッジ・ユニオンのそれと合併した(Aegis Insurance Company)。同年、合弁会社ノリッジ・ヴィンタートゥールを、ノリッジ・ユニオンと現アクサのヴィンタートゥール(Winterthur Group)と千代田火災海上保険が、それぞれ順に48.5%、48.5%、3%を出資して設立した。 1983年、ノリッジ・ユニオンは子会社のAP銀行をリッグス銀行(旧第二合衆国銀行)へ3590万ドルで売却した。 ノリッジ・ユニオンがワファバンクと関係したころである。1986年ビッグバンのときにカザノヴ商会(現JPモルガン・チェース)が証券引受けシンジケートを組成しているが、組成はロイヤル・バンク・オブ・スコットランドの協力によっており、参加者はノリッジ・ユニオンやスコティッシュ・エクイタブル(Scottish Equitable)、リーガル&ジェネラルなど7機関投資家であった。1991年、予めイングランド銀行の斡旋で相手方株主と接触していたノリッジ・ユニオンは、テイス社(Tace plc.)の取締役会を入れ替えようとして報道も追い風に成功させた。このときの副会長はジェームズ・クレミンソン(James Cleminson)であった。
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