実験の内容
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被験者たちはあらかじめ「体験」として45ボルトの電気ショックを受け、「生徒」が受ける痛みを体験させられる。次に「教師」と「生徒」は別の部屋に分けられ、インターフォンを通じてお互いの声のみが聞こえる状況下に置かれた。被験者には武器で脅されるといった物理的なプレッシャーや、家族が人質に取られているといった精神的なプレッシャーは全くない。 「教師」はまず2つの対になる単語リストを読み上げる。その後、単語の一方のみを読み上げ、対応する単語を4択で質問する。「生徒」は4つのボタンのうち、答えの番号のボタンを押す。「生徒」が正解すると、「教師」は次の単語リストに移る。「生徒」が間違えると、「教師」は「生徒」に電気ショックを流すよう指示を受けた。また電圧は最初は45ボルトで、「生徒」が1問間違えるごとに15ボルトずつ電圧の強さを上げていくよう指示された。 電気ショックを与えるスイッチには、電圧とともに、そのショックの程度を示す言葉が表記されている。記録映像の残るある実験では以下の表記がなされた。 15ボルト “SLIGHT SHOCK”(軽い衝撃) 75ボルト “MODERATE SHOCK”(中度の衝撃) 135ボルト “STRONG SHOCK”(強い衝撃) 195ボルト “VERY STRONG SHOCK”(かなり強い衝撃) 255ボルト “INTENSE SHOCK”(激しい衝撃) 315ボルト “EXTREME INTENSITY SHOCK”(はなはだしく激しい衝撃) 375ボルト “DANGER: SEVERE SHOCK”(危険: 苛烈な衝撃) 435ボルト “X X X” 450ボルト “X X X” 450ボルトが最大で、435ボルトと共に但し書きはなく、“危険”をさらに超えた強さとして扱われる。被験者は「生徒」に電圧が付加されていると信じ込まされるが、実際には電圧は付加されていない。しかし各電圧の強さに応じ、あらかじめ録音された「『生徒』が苦痛を訴える声」がインターフォンから流された。電圧をあげるにつれて段々苦痛のリアクションが大きくなっていった。記録映像で確認できる生徒のリアクションは、まるで拷問を受けているかの如くの大絶叫で、ショックを受けた途端大きくのけ反るなど、一見してとても演技とは思えない迫力であった。 75ボルトになると、不快感をつぶやく。 120ボルトになると、大声で苦痛を訴える 135ボルトになると、うめき声をあげる 150ボルトになると、絶叫する。 180ボルトになると、「痛くてたまらない」と叫ぶ。 270ボルトになると、苦悶の金切声を上げる。 300ボルトになると、壁を叩いて実験中止を求める。 315ボルトになると、壁を叩いて実験を降りると叫ぶ。 330ボルトになると、無反応になる。 被験者が実験の続行を拒否しようとする意思を示した場合、白衣を着た権威のある博士らしき男が感情を全く乱さない超然とした態度で次のように通告した。 続行してください。Please continue or Please go on. この実験は、あなたに続行していただかなくてはいけません。The experiment requires that you continue. あなたに続行していただく事が絶対に必要なのです。It is absolutely essential that you continue. 他の選択肢はありません、あなたは続けるべきです。You have no other choice; you must go on. 1から4の通告の間に、被験者が拒否をみせると「体に後遺症を残すことはありません。」「責任は我々がとります。」 4度目の通告がなされた後も、依然として被験者が実験の中止を希望した場合、その時点で実験は中止された。そうでなければ、設定されていた最大電圧の450ボルトが3度続けて流されるまで実験は続けられた 。
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実験の内容
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「ガリレオによるピサの斜塔実験」の記事における「実験の内容」の解説
ガリレオ・ガリレイは1564年ピサに生まれ、1589年から1592年までピサ大学教授の地位にあった。ピサの斜塔実験は、ピサ大学教授時代の出来事として伝えられている。 伝えられている話によると、ガリレオはピサの斜塔のてっぺんに上り、教授たちを含む見物客の見守る中、2つの球を同時に落とした。すると、2つの球は同時、あるいはほぼ同時に地面に到達した。なお、時代が下るにつれて書籍などで脚色が加わるようになったため、実験の詳細については出典により異なる。 この実験の背景には、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの理論がある。アリストテレスは著書『自然学』で、同じ媒体の中では、物体の重さが大きいほど速く移動すると記し、著書『天体論』でも、重さが2倍の物体は一定の距離を半分の時間で動くと記している。すなわちアリストテレスは、物体が落下するときの速度は、物体の質量に比例すると述べていた。そして、ガリレオの時代、多くの教授はまだアリストテレスの考えを支持していた。例えばピサ大学時代においてガリレオの師にあたるフランチェスコ・ブオナミチ(イタリア語版)も、著書でこの考えを前提に議論を進めている。したがって、斜塔実験は古代より信じられていたアリストテレスの考えを打ち破るものであり、実験の目的は、旧来の教授たちに事実を見せるためだったといわれている。
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