官渡の戦い以後とは? わかりやすく解説

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官渡の戦い以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:37 UTC 版)

曹操」の記事における「官渡の戦い以後」の解説

建安5年200年)、官渡の戦い最前線立って最大の敵である袁紹破り、その勢い削いだ建安7年202年)、袁紹病死し袁氏勢力袁紹息子袁譚袁尚分裂した建安9年204年)、袁尚本拠である冀州の鄴(現在の河北省邯鄲市臨漳県)を攻め落とし、ここに本拠地を移す。同年9月献帝曹操冀州牧を担当させたため、曹操兗州牧を辞退して返上した建安10年205年)、袁譚滅ぼし冀州平定した。同年黒山軍の張燕十数万人軍勢率いて降伏してきた。 建安11年206年)、袁紹の甥の高幹討伐し、并州平定した。 建安12年207年)、袁氏味方する蹋頓烏桓族を討ち二十数万人を降伏させ、袁紹の子袁尚袁煕滅ぼし幽州平定し河北黄河北岸地域)を統一した白狼山の戦い)。 曹操勢力圧倒的なものとなり、残るは荊州劉表江東孫権益州劉璋漢中張魯関中馬騰筆頭とした群小豪族寄る辺の無い劉備だけとなった建安13年208年春正月三公制を廃止し丞相御史大夫置いた同年6月献帝曹操丞相任命した同年7月曹操15の軍を南下させ、劉表征討赴いた8月劉表病死した。9月劉表の子劉琮は代わって襄陽駐屯していたが曹操降伏し劉備劉琮夏口逃走した曹操江陵に軍を進めた。そこで荊州服従させた功績判定し荊州名士韓嵩鄧義らを任用した。また、益州劉璋がはじめて兵を提供してきた。 同年12月長江南岸沿いに進んで孫権討とうとしたが、孫劉連合軍敗れた赤壁の戦い)。長江北岸引き上げ曹操敗走すると孫劉連合軍荊州大部分奪われた。 建安14年209年)春3月曹操は軍を率いて譙に到着した。秋7月水路経て合肥に陣取った前年揚州刺史劉馥死去していたため、揚州の郡県に長吏を置き、芍陂に屯田開設し軍備整えた12月曹操は軍を率いて譙に帰還した建安16年211年)、馬超はじめとする関中軍閥連合軍破った潼関の戦い)。その後曹操軍夏侯淵らが関中軍閥連合軍残党制圧した赤壁の戦い終わった後も、曹操軍はその8年間(209年-217年)にわたり、孫権軍巣湖周辺合肥・濡須)で攻防戦繰り広げたその間曹操家臣進言受け入れず四度総力をあげた巣湖濡須の戦いで敗れて大な戦果はなかったため、最終的に全て孫権により撃退された。 建安18年213年)に董昭らの提案従い魏公となり、建安21年216年)に魏王封じられ後漢皇帝治め帝国内の藩国、つまり王国として魏を建国献帝には権力無く実際に後漢背負曹操だが、最後まで帝位にはつかず後漢丞相肩書き通した簒奪の意を問われ曹操は「自分は(周の)文王たればよい(文王は殷(商)の重臣として殷に取って代われる勢力持っていたが死ぬまで殷に臣従し、殷を滅ぼした子の武王によって「文王」を追号された)」としてその意を示唆したともいう。 建安20年215年)、漢中張魯降伏させた(陽平関の戦い)。漢中平定後、劉曄司馬懿は、この勢い乗じて劉備支配して間もない益州侵攻するよう曹操進言したが、この意見却下されている。217年末-219年間、曹操軍その2年間にわたり、漢中侵攻した建安24年218年)、曹操劉備討伐のために長安入った劉備軍涼州武都まで兵を進めた曹洪派遣し呉蘭らを斬り善戦し張飛馬超らは敗走した一方劉備本隊陽平関に入り夏侯淵対峙した。曹操漢中数万住民長安移住させると、さらに一方で翌年漢中守備している夏侯淵が兵を割き、わずか400の兵で陣の修復向かった。その隙に夏侯淵黄忠討ち取られた(定軍山の戦い)。曹操は自らふたたび漢中まで出向くも、陽安徐晃陳式を破るなど劉備との間で持久戦続いた同年5月曹操漢中を「鶏肋」と形容し攻略諦めて撤退命じ漢中劉備領有したまた、劉備配下武将関羽曹操勢力下の樊城襄陽包囲し曹操配下武将于禁龐徳捕虜とした。さらに、鄴においては丞相掾の魏諷関羽通じて反逆しさしもの曹操遷都まで考えるほどであった司馬懿蔣済提案従い孫権結盟求め関羽破った樊城の戦い)。 建安25年220年)、病のため死去。「戦時であるから喪に服す期間は短くし、墓に金銀入れてはならず」との遺言残した死後息子曹丕後漢献帝から禅譲を受け皇帝となると太祖武帝追号された。

※この「官渡の戦い以後」の解説は、「曹操」の解説の一部です。
「官渡の戦い以後」を含む「曹操」の記事については、「曹操」の概要を参照ください。

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