学生運動の復活
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「全日本学生自治会総連合の歴史」の記事における「学生運動の復活」の解説
第二次世界大戦中に壊滅状態にあった学生運動は、1945年秋から復活した。社会科学研究会、学生図書協議会(のちの学生図書協会)の運動、大学生協の結成などがその嚆矢であった。1946年5月には学徒救援会、文部省の推進により連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の公認をうけて、学生の住宅確保のために学生会館が設立された。これらの動きは当時の学生が対面していた学問に接する機会の欠乏・物資と収入の欠乏、民主主義の欠乏への問題意識に突き動かされたものであった。その担い手は、勤労動員や学徒出陣から学校に戻ってきた学生たちであった。 これらの生活づくりの動きと並行して、学生の政治運動の再建として1945年9月から学園民主化闘争が起こり、これが学生自治会の出現を準備した。水戸高校での軍国主義校長罷免・進歩的教授復職を求めるストライキ・寮籠城闘争が校長らの罷免と処分中の教授の復職を勝ち取ったことをはじめとして、上野高等女学校、東京物理学校、北海道大学、東京工業大学、静岡高等学校 (旧制)、早稲田大学、東京女子大学、佐賀高等学校 (旧制)、東京産業大学、日本大学予科、法政大学、立命館大学、立教大学、大阪商科大学、京都大学、中央大学などで学園民主化闘争が闘われ、そのなかで社研や自治会の結成が進んでいった。その目指すところは、軍国主義教育の批判、一転して民主主義に転ずる教師の無節操の批判であり、スローガンは「学園報国団解体、戦犯教師追放、民主的教員の復帰、学生組織の結成」などであった。ここにおいて出現した学生自治会は、戦前に存在した個人加盟の団体とは違い、全学生の全員加盟とする新しい自治会制度の確立を指した。1946年5月、早稲田大学学生大会が自治会規約を可決、当局もこれを承認したことから、全国で初めての全員加入の学生自治会が結成された。 この時期の運動は戦前の男子・国立大学中心であった学生運動とは異なり、私立・女子高においても発生したことに特色がある。GHQの後押しからこの時期の闘争は学生側の勝利に終わることが多く、これらの闘争の過程で運動のための言論の場としての学生新聞・雑誌の復活が相次いだ。そのほか、滝川幸辰、田中耕太郎、末川博などの戦時中に公職から退けられ、民主化の中で大学に復帰した教授陣が学生と対立する場面もみられた。
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