学生運動の復活とは? わかりやすく解説

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学生運動の復活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 04:37 UTC 版)

全日本学生自治会総連合の歴史」の記事における「学生運動の復活」の解説

第二次世界大戦中壊滅状態にあった学生運動は、1945年秋から復活した社会科学研究会学生図書協議会(のちの学生図書協会)の運動大学生協結成などがその嚆矢であった1946年5月には学徒救援会文部省推進により連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の公認をうけて、学生住宅確保のために学生会館設立された。これらの動き当時学生対面していた学問接す機会欠乏物資収入欠乏民主主義欠乏への問題意識突き動かされたものであった。その担い手は、勤労動員学徒出陣から学校戻ってきた学生たちであった。 これらの生活づくりの動き並行して学生政治運動再建として1945年9月から学園民主化闘争起こり、これが学生自治会出現準備した水戸高校での軍国主義校長罷免進歩的教授復職求めストライキ・寮籠城闘争校長らの罷免処分中の教授復職勝ち取ったことをはじめとして上野高等女学校東京物理学校北海道大学東京工業大学静岡高等学校 (旧制)早稲田大学東京女子大学佐賀高等学校 (旧制)東京産業大学日本大学予科法政大学立命館大学立教大学大阪商科大学京都大学中央大学などで学園民主化闘争が闘われ、そのなかで社研自治会結成進んでいった。その目指すところは、軍国主義教育批判一転して民主主義転ずる教師無節操批判であり、スローガンは「学園報国解体戦犯教師追放民主的教員復帰学生組織結成」などであったここにおいて出現した学生自治会は、戦前存在した個人加盟団体とは違い全学生全員加盟とする新し自治会制度の確立指した1946年5月早稲田大学学生大会自治会規約可決当局もこれを承認したことから、全国初めての全員加入学生自治会結成された。 この時期運動戦前男子国立大学中心であった学生運動とは異なり私立女子高においても発生したことに特色がある。GHQ後押しからこの時期闘争学生側勝利に終わることが多く、これらの闘争過程運動のための言論の場としての学生新聞雑誌復活相次いだそのほか滝川幸辰田中耕太郎末川博などの戦時中公職から退けられ民主化の中で大学復帰した教授陣学生対立する場面もみられた。

※この「学生運動の復活」の解説は、「全日本学生自治会総連合の歴史」の解説の一部です。
「学生運動の復活」を含む「全日本学生自治会総連合の歴史」の記事については、「全日本学生自治会総連合の歴史」の概要を参照ください。

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