学生運動の経験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:38 UTC 版)
牧は1950年4月に大学生となると「占領軍撤退」をスローガンに掲げる学生運動に参加した。当時の東大教養学部には2000名の学生がいたが、1950年5月のメーデーに参加した学生は十数人だった。それが6月4日のレッドパージ反対デモのときには8割の学生が集まった。牧はこのようなわずか数週間で運動が大きく変化をした経験から「どうしてそうなるんだろう」ということに興味を持ち始めた。牧はこの数週間のうちに運動のやり方が変化したことに気がついた。初めのデモは行こうと言う人間が「一緒に行くヤツ寄っといで」という有志結集型だったが、その後のレッドパージ反対闘争は学生自治会を通して全学生に呼びかけ、学生自治会の運動として「全員加盟・全員参加型の大衆的な運動」に変化していた。牧は有志結集型の呼びかけだけでは到底起こすことのできない大衆的な討論が起こり、有志結集型の呼びかけだけでは集まってこない人々を含めることで、本当に大衆的な運動が成立することを知った。 一方1960年代の終わり頃からの大学闘争では「運動は戦う意思を持った者だけで行うものであって、戦う意思のないものは敵だ」とする全共闘の考え方に激しい怒りと恐れを抱いた。大衆的基盤を忘れ去ったこのような運動論は運動の衰退と孤立を招くだけであると牧は考え、実際学生運動は衰退した。
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