世界経済研究所時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 04:08 UTC 版)
1960年に大学を卒業した後、「今までの学生運動の経験を生かせる場所はないか」と考え、左翼系の研究所である財団法人世界経済研究所の理事長をしていた小椋広勝の自宅を訪問。その後、入所試験を受けて合格し、世界経済研究所へ採用される。岸信介内閣で安保闘争が敗北した後、香山健一から紹介されて、清水幾太郎が結成した現代思想研究会に参加(当時全学連リーダーを務めていた森田実も参加していた)。『現代思想』の編集などを担当していたが、第7号をもって停刊し、現代思想研究会も解散となった。現代思想研究会の解散後、世界経済研究所で研究を続けるうちにマルクス主義への憧れが自己の中で崩壊し、「このような気持ちで研究を続けるわけにいかない」と思い、また、学生運動時代の仲間が大学院進学を考えるようになった影響で、自分も大学院を目指すようになる。
※この「世界経済研究所時代」の解説は、「中嶋嶺雄」の解説の一部です。
「世界経済研究所時代」を含む「中嶋嶺雄」の記事については、「中嶋嶺雄」の概要を参照ください。
- 世界経済研究所時代のページへのリンク