天賦人権論論争
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貴族院論争初日、田中法相、渡正元が断行論を述べた後、帝国大学総長加藤弘之が演説。加藤は、素人考えと断りつつも、民法の精神は自然法を大本とし、天賦の人権が人民に付与されると理由書に書いてあると指摘、一方憲法の精神は、公権・私権の区別無く全て国家の主権から生じると解されるから、民法は憲法と矛盾抵触すると主張。自然法説が西洋でも衰退しつつあることも指摘。これに対し、貴族院の保守党中正派を率いる退役陸軍中将、断行派の鳥尾小弥太が演説、天賦人権論の是非にかかわらず、人民相互の権利(私権)は人が人たるの所以から生じると反論。 大木文相も加藤に反論。 鳥尾君が其方は余程弁駁になりましたから本官は申上げませぬが、国家の主権のために人民の権利を動かし得らるると云ふことがござりませうか。独逸にさう云うことがござりませうか。…人民は各個各個の権利で決して財産身体の保護上に於きましては則ち天然の道理に拠たざるを得ない…それ故に外国に対しても交通が出来るのでござります。然るを国家のために権利を折らるると云ふやうなことであれば、人民が国家の奴隷と云ふものであるが、なんぼ独逸でも日本でも左様なものではない。それ故に裁判が左様なことになれば畠山重忠板倉周防守か…独逸国に左様なことがあると云ふやうな御感触では甚だ驚入ったことであります。 — 大木喬任 普段は口下手な大木が、この日に限っては堂々の演説をしたことは各新聞社も好意的に報道した。 鳥尾小弥太については、延期派の谷干城と同様の保守的グループに属しながら商法典論争の延期派から民法断行派に転じたとみられているが、付和雷同の傾向があったことや、政府から司法大臣の席を約束されていたという噂があったことが指摘されている。もっとも、商法典論争でも天皇の決定を尊重する観点から断行派だったとの見方もある。なお本人は大津事件の影響で法治主義に転じたためと主張している。商法は棄権。 翌27日、谷は、大木の天賦人権論は儒教を介した日本独自のものと指摘。 天賦人権云々の議論…はどうも大木さんが間違っちょらうと思ふ。…大木君も鳥尾君も…漢学主義の人であって、中庸にある…天命に則り性法率ふと云ふ、斯う云ふ所から来た人道論で決して西洋で謂う人権論から来たのでは無かろうと思ひます。…是は人権論の誤解ぢゃらうと思ふ。それで大木さんの御論は一向何であったか我々にはわからなかった。 — 谷干城 翌28日、谷から財政支援を受ける陸羯南の『日本』は、大木のみならず加藤をも批判。 国家の主権に歴史上の重きを置くは独逸主義に於て之あるも、国家ありて而後(しかるのち)に権利ありと云ふ説は、恐らくは独逸法理の是認する所にあらじ。一切の法律(原注、憲法も)宇宙自然の道理に近か寄らしむるは仏国主義に於て之れあるも夫の大木伯の説の如く、独り私法のみ天然の道理に拠りて規定すとは、是れ又た仏国の法理にあらじ。 — 陸羯南「天賦人権、大木伯」 前述の通り、財産法につき前国家的な自然法を強調するのがドイツ自然法学の立場。財産法家族法を問わず、自然法の名目による国家からの成文法の押し付けを拒否するのがドイツ歴史法学の立場である。 穂積八束も「臣民の権利は…私法上の権利とは其効力を全く異にす」と述べ(帝国憲法ノ法理)、加藤のような素朴な公法私法一元論は採らない。 民商二法典は…大木大臣の説明によれば天然の道理に拠れりと云ふ…而して法文其物を見れば慣習に従ふを妨げずと記し、又た慣習になき場合に非ざれば適用せずと記するは抑々何等の矛盾ぞや…夫(そ)の自由主義を執ると自称する議員等が、私権保護の名に惑はされ…少人数の専断に成りたる此の大法典をば、一回の吟味をも遂げずに其の実施を賛成するは…何の心ぞや。 — 陸羯南「法典是耶非」 大木については、明治初期以来の「絶対主義的法治主義」の現れと解し、詳細な大法典の押し付けが人民を束縛することは私法でも変わらないので、延期派への反論として失当との批判もあるが(井ヶ田良治)、後年の伊藤博文が憲法解釈につき大木や鳥尾と類似の見解を述べ、「何でも専制的のことでなければ、日本の国体に適はぬが如く思うてゐる」漢学者らを「大なる誤解」と批判したことから、加藤の極度の国家主義への反論としては妥当とする評価もある。
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