大事故からの生還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 15:51 UTC 版)
1976年 春に交際していたマルレーネと結婚。第4戦スペイングランプリ前に自宅のトラクターで作業中に転落して肋骨を折りながら同グランプリで2位、第9戦終了時点で5勝をあげ、ポイントリーダーであった。 しかし、ニュルブルクリンクで開催された第10戦ドイツグランプリで悲劇に襲われる。レインタイヤでスタートしたが、ドライタイヤに交換して後退してから順位を挽回中に「ベルクヴェルク」の一つ手前にある左に廻る高速コーナーで突然コントロールを失い、コース右側のキャッチフェンスを突き破り、露出していた岩に衝突、その衝撃でヘルメットが脱げてしまった。 クラッシュし発火したマシンはコース中央まで跳ね返され停止、これにブレット・ランガーのサーティース・TS19が衝突し、アメリカ人ドライバーのガイ・エドワーズ、後続で停止したハラルド・アートル、アルトゥーロ・メルツァリオ、ランガー、コースマーシャルの5人が捨て身の行動でラウダのマシンを消火・救出活動を行った。事故原因については、縁石にタイヤを乗せた弾みでスピンしてからのリアサスペンションの故障説があり、ラウダ自身はタイヤトラブルだと語っているが、その後もコントロールを失った真の原因は確定できず謎となっている。 ラウダはヘルメットが脱げてしまった影響で頭部に大火傷を負い、FRP製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだため、肺に深刻なダメージを受けた。数日間生死の境を彷徨ったが、臨終儀式の用意のために神父が病室に訪れた途端にラウダは驚異的なペースで回復。事故発生から6週間後の第13戦イタリアグランプリで奇跡のレース復帰を果たし、4位入賞した。この時モンツァ・サーキットに姿を現したラウダの顔の右半分には、自らの大腿部の皮膚を移植した火傷治療の跡が生々しく残っている状態だったが、ラウダは周囲の好奇の目を気にする事も無かった。一方、マクラーレンのジェームス・ハントが第14戦カナダグランプリ、第15戦アメリカ東グランプリと連勝し、ラウダはそれぞれ8位、3位だったためポイント差を詰められた。 タイトル争いは最終戦のF1世界選手権イン・ジャパンに持ち込まれた。この時点でポイントリーダーはラウダで、わずか3ポイント差の2位にハント。富士スピードウェイでの決勝は、コースに川ができるほどの豪雨に見舞われた。レース中止案もある中で強行された決勝を、ラウダは「リスクが大きすぎる」として、わずか2周をスロー走行したのみでピット・インし自らリタイアした。一方のハントは決勝で3位に入賞し4ポイントを獲得、1ポイントラウダを上まわり逆転での1976年F1ワールドチャンピオンとなった。 独断でリタイアし自ら王座を手放したラウダに、フェラーリのテクニカル・ディレクターのマウロ・フォルギエーリが「マシンのせいといえばいい」と言ったがこれを拒否し、またエンツォ・フェラーリは公には庇ったが、その後の関係はギクシャクしていく。また、ラウダが負傷欠場していた第12戦オーストリアグランプリの期間中、ラウダがレースに復帰する見込みがないと判断していたエンツォはチーム監督のオーデットに指示を出し、ブラバムのカルロス・ロイテマンをラウダの代役としてフェラーリに引き入れたことが、結果的に(ラウダが早期復帰を果たしたため)チームメイトであるレガツォーニの解雇につながり、これをきっかけにラウダとフェラーリチーム首脳の間に亀裂が生じた。 1977年 前年からの皮膚移植治療などに注力したことも重なり、77年シーズン前のテスト・プログラムからラウダは除外されていたが、第3戦南アフリカグランプリでシーズン初勝利を挙げ、チームの体制を再び自分に取り戻す。また第11戦ドイツグランプリ、第13戦オランダグランプリをそれぞれ勝利し、シーズン3勝、2位6回と安定した速さを見せ第15戦アメリカ東グランプリにて2度目のワールドチャンピオンを確定した。 しかし、前年からの経緯によりフェラーリからの離脱を決意していたラウダは、ゴードン・マレーのデザインした、サーフェイス・クーリング(表面冷却)と呼ばれるブラバム・BT46に惹かれ、ブラバムの代表であるバーニー・エクレストンとサインを交わし翌年からの移籍が決定した。すると、ラウダと共にブラバムへ移籍したいと希望したメカニックがフェラーリから即時解雇され、ラウダはこれに激怒。アメリカ東グランプリ後に2戦を残してフェラーリを去った。この際に引き止めたいエンツォ・フェラーリと去りたいラウダとの間では、白紙の小切手を前にした生々しく、激しい口論も発生している(後述)。
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