変形と文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/31 08:53 UTC 版)
変形の形態はさまざまだが、変形を意図したものと、そうではなく幼少期の揺り篭など伝統的な育て方の問題から変形が生じ、やがてそれが民族集団のトレードマークに変化したものなどがあるとされている。ロシアの研究者によると、後者は中央アジアの遊牧民にあてはまるという。 ユーラシア大陸では、古く紀元前2000-1000年ころに中央アジアに見られ、その後、紀元前750-500年ころに再び見られるようになる。この間に関連はないとされており、後者はフン族の侵入が関係しているという説がある。フンが使っていたゆりかごによって、フンは頭蓋が変形を生じていたが、フンの進入後、各地域で、それが逆に(階層や「民族」)「集団」を示すものにとってかわったという。 ヨーロッパではクリミア地方を中心に、イギリス、スイス、ドイツ、オーストリア、ハンガリーなどのキリスト教浸透以前の古墓などから変形頭蓋が発見されているが、地域は散発的である。 また、15世紀のドイツ、16世紀のギリシャやトルコ、17世紀のベルギーやパリでも行われていたという見聞もある。フランスのトゥールーズ地方では、19世紀にトゥールーズ型という女性による鞍型の頭蓋変形が行われていたが、変形の目的は研究者間でも意見が別れており、当時の女性の風俗である頭巾を被るためとも、美的観念からとも、骨相学からくる優生学的な意味合いからとも言われている。トゥールーズ型頭蓋は他に、ブルターニュ、ノルマンディー、ガスコーニュ地方でも見られ、G・バックマンは20世紀半ばまで、この風習が残っていた地域もあるとする。 東アジアにも事例はあり、日本の弥生時代終末期(3世紀)において限定的ではあるが、確認されている。鹿児島県南種子町所在の史跡「広田遺跡」出土の人骨である。墳丘墓や古墳はなく、海岸砂丘に造られた墓地であり、第一次調査(1957年から59年)では、157体の人骨が確認されている。広田人は、北部九州の弥生人と比較しても低身長であり、男性でも平均154センチ、女性で平均が143センチである(北部九州の弥生人は、男性で平均163センチ、女性で152センチ)。日本全国でも類例がない特異な習俗を有しており、上顎の側切歯を一本だけ抜歯していたり、後頭部が偏平である。いわゆる絶壁頭と呼ばれるものであり、広田遺跡で出土する頭蓋骨の後頭部の全てが扁平であることから、意図的に頭蓋骨を変形させる習俗があったと考えられており、日本列島では広田人以外に例がなく、大きな特徴となっている。 新大陸では、チリなどに古い人骨が残っており、紀元前2650年ころからの時期にすでに現れるという。またテキサス南部の絶滅した数部族も19世紀まで行っていた。このほか、メキシコなどメソアメリカでも先古典期中期段階でオアハカ地方やオルメカ文明の彫像で見られ、マヤ文明では一般的な習慣であった。それら変形が加えられた人骨の墳墓では、高度な装飾品など手厚く葬られた様子も見られることから、変形の度合いで社会的地位が決定される面があったのではと推測されている。 南米のものは、チチカカ湖沿岸や南海岸のものが有名で、形態も複数ある。頭を前後に挟んでつぶして細長く頭を伸ばしたものや、逆に左右に幅広くしたものなどもある。スペイン人が征服したころまでその習慣は残っており、一説では20世紀初頭までブラジルのアマゾン地域で見られたという。これらでは、乳児の頭を当て布をした上で2枚の木の板で挿み、上から紐で縛っていたことがスペイン人宣教師の記した記録などに残されている。
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