国際援助への対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 16:07 UTC 版)
馬英九政権の災害対応は、各界から「遅すぎる」と指摘され、国民の支持を急速に失った。中でも、善意かつ能力のあった外国からの援助を断ったり、緊急事態を宣言しなかったり、国家安全会議の開催が遅かったりしたことが注目を集めた。ただし、台風による風がまだ強かった8月9日午後に、軍のヘリコプターが飛行しようとして取りやめているが、これは強風によるものであった。また緊急事態宣言のうち災害救助に関する点については災害防救法でも対応が可能であり、対応のために緊急事態宣言が必要であったとは言えない。 各地の被害状況が海外メディアで報道されると、多くの国から電報が届いたり救援の申出が相次いだ。日米両国は、被災地の情報が明らかになった8月11日、救援のための人員派遣の意思を表明した。特にアメリカ国務省は8月11日、米軍が台湾援助の準備のため待機していると公表した。しかし外交部は海外からの援助物資を遠回しに断った。 8月12日、外交部の章計平代理発言人は、援助を拒否したという事実は無いと否定し、海外からの援助を拒否するよう在外公館に求める指示を政府が行うことはできないと強調した。また同日、劉兆玄行政院長と馬英九総統は、外国からの支援を拒否していないと重ねて述べた。しかし、8月14日の蘋果日報が、国外からの援助を拒否するという外交部の緊急公文の内容を報じると、外交部も救援物資と救助隊を婉曲的に断る命令を出したことを認めた。しかし外交部の夏立言政務次長は、当該文書に「当面の間、現段階ではそうした需要がないので」という一文が漏れていたことが誤りだったという釈明をし、その点についてのみ謝罪したものの、後に辞表を提出している。一般的には、このような重大な災害対応や対米対日関係は、外交権と国内政治の責任に密接に関わっていると考えられており、事態の緊急性や世論の関心、外交部内の階級と権限を踏まえれば、省庁間の上層部を跨ぐような政策決定の公文書を外交部単独で、ましてや次長が出すことは不可能と言える。総統府と国家安全会議も職責を果たしていない疑いがあると示した。 議論を招いた各在外公館あての外交部の電文は外交部の内部通知であり、副本が内政部に残されるものの、諸外国政府に宛てた外交文書の位置付けではなかった。監察院は、規定に照らして中央災害対応センターの指揮官に送るべきであったとして外交部に是正を求めた。この中で、外交部が「外国からの救援を遠回しに断る」という電文の内容が共有されていなかったことにも触れている。結局、8月13日に至って諸外国からの支援を歓迎することを表明するに至り、政府の威信に大きな打撃を与えた。 8月11日以降、外交部にはアメリカからの見舞いや寄附、協力の申出が続いていた。米国在台湾協会の台北事務所長代理は11日午前8時に外交部の夏立言次長に対し協力を申し出ている。夏立言は執務室の専門委員である陳冠中に対し、国家安全会議へ報告するよう指示した。陳冠中は、国家安全会議秘書長であった蘇起の執務室主任の黄健良に連絡し、黄健良は行政院国土安全弁公室主任の張志宇に対し外交部に協力するよう要請し、さらに蘇起にそれらの状況を報告している。その後、張志宇は内政部消防署の署長であった黄季敏と電話で話した。黄季敏は、天候を理由に挙げ、諸外国の人員や物資を被災地域に運ぶことは難しいのではないかと述べた。張志宇は、黄季敏の考えを夏立言に伝え、その晩に外交部は問題となった電文を各在外公館に送っている。 前年の2008年、台湾では政府が「国際的な災害救援の協力に対する注意事項」を制定しており、その中で対応についても規定している。すなわち、外交部に対しアメリカ政府から問い合わせがあった際には、中央災害対応センターの指揮官である范良銹に知らせねばならず、范良銹はさらに行政院災害防救委員会の主任委員である邱正雄に伝達し、国際的な支援を受けるか否かを決定しなければならなかった。しかし外交部は国安会に報告するのみで、こうした手続きを踏んでいなかったというミスがあった。 後に判明したことであるが、台湾において生活物資は全く不足していなかった。大きな被害が台湾南部に集中した一方、北部では深刻な状況は見られなかった。台湾はもともと困窮した後進国ではなく、1999年の921大地震の後、災害救援体制を整えていた。被災地でただちに求められたのは大型のヘリコプターであった。国軍は、陳水扁政権時代に何度も新型の大型ヘリコプター購入計画を提出していたが、何度も入札不調に陥り購入配備に至っていなかった。政府が世界各国へ求めた援助のリストの中に「32トンのショベルカーなどの重機を吊り上げられる」ヘリコプターと書いていたのは、そのためであった。しかし、世界中のどこを見ても32トンもの重さを持ち上げられるヘリコプターは存在せず、当時世界最大だったロシア製のMi-26でも20トンがせいぜいであった。これは、重機の重さを説明する際に、正味重量ではなく総重量を書いたためであった。中国からMi-26の提供の意思が示されたが、国防の観点から、また統一戦争の議論を避ける点からも、拒否されている。
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