国際化と天皇賞(秋)の距離短縮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:15 UTC 版)
「天皇賞」の記事における「国際化と天皇賞(秋)の距離短縮」の解説
ジャパンカップの創設以前より、世界の各国からは外国籍の馬主が日本のレースに所有馬を出走させられなかったり、外国馬に対する出走制限を設けていたりしたことなど、日本の競馬界に対する閉鎖性が指摘されるようになっていた。これらの指摘を受け、日本中央競馬会はジャパンカップの創設以来「競馬の国際化」を視野に入れた多角的な活動を展開するようになった。「国際化」とは、単に外国の競走馬を呼び寄せるだけでなく、制度面を含めた「国際標準」への適合を意味していた。 日本の競馬を「国際標準」へ適合させるため、日本中央競馬会はさまざまな施策を打ち出した。1984年(昭和59年)に導入された「グレード制」はそのひとつである。天皇賞も春・秋ともにGIとして格付けされたが、当初のグレード制は興行に主眼を置いた中央競馬独自の格付けに過ぎず、1970年代に欧米で作られた「グレード制・グループ制」とはまったく互換性のないものだった。その後、さまざまな開放策を実施した結果、2005年(平成17年)には天皇賞が春・秋ともに国際競走となり、外国調教馬の出走が可能になった。さらに、2007年(平成19年)からは格付けの互換性が認められるようになった。 1983年(昭和58年)11月、日本中央競馬会は昭和59年度の競馬番組について、グレード制の導入(前述)などの大幅改革を発表した。この中に、天皇賞(秋)の施行距離を芝2,000メートルに短縮することが盛り込まれていた。レースの性格を大きく変えることになるこの変更に対し、伝統的な3,200メートルの距離を尊重する意見や東京競馬場(芝2,000メートル)のコース形態に対する問題点を指摘する意見、また第1回ジャパンカップで日本勢が外国勢に大敗したことを踏まえ、スタミナよりもスピードの強化を重視する意見など賛否両論があったが、1984年(昭和59年)より天皇賞(秋)は施行距離が2,000メートルに短縮された。以来、天皇賞(秋)は中央競馬の「中距離ナンバー1決定戦」の性格を持つようになった。 競走の規則も見直しが図られた。1950年代に欧米で定着した降着制度は1991年(平成3年)から中央競馬でも導入されたが、この年の天皇賞(秋)で1位入線馬が18着に降着となった。これは日本での重賞1位入線馬の降着例として史上初だっただけでなく、当該馬が圧倒的な単勝1番人気に推されていたことも相まって大きな話題になった。 帝室御賞典時代からの制度では、1度優勝した馬に再出走を認めない勝ち抜き制が1981年(昭和56年)から廃止され、過去の優勝馬も再出走が可能になったほか、種牡馬・繁殖馬選定の観点から長年認められていなかった去勢馬(せん馬)の出走も2008年(平成20年)以降可能になった。また、1971年(昭和46年)から認められていなかった外国産馬の出走が2000年(平成12年)より可能になった。 1937年(昭和12年)秋の帝室御賞典(第1回)以来「古馬の最高峰」として位置づけられてきた天皇賞だったが、1987年(昭和62年)より天皇賞(秋)は4歳馬も出走が可能になった。また1980年代以降、短距離路線・ダート路線・牝馬路線の拡充が図られたことに加え、海外遠征も容易になった。これにより、さまざまなタイプの競走を選択できるようになり、天皇賞は「数ある頂点のひとつ」という位置づけになっている。とはいえ、国内のGI競走では2022年(令和4年)現在もジャパンカップ、有馬記念に次ぐ高額の1着賞金が設定されている(後述)。 国内最高クラスの賞金、皇室から下賜された天皇楯の権威、長い歴史と伝統などに裏打ちされ、今も天皇賞は「古馬最高の栄誉」とされている。 [先頭へ戻る]
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