国際化とデジタル化への対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 23:22 UTC 版)
「著作権法 (アメリカ合衆国)」の記事における「国際化とデジタル化への対応」の解説
1790年の米国著作権法では、その権利保護の対象は米国籍の著作者であり、米国内に流通する著作物に限定されていた。米国内では米国外の著作物が盛んに無断で複製され、その著作者に印税やライセンス料が入らない事態が発生していたことから、1800年から1860年代までは海賊版出版時代 (The Great Age of Piracy) と呼ばれていた。1870年代後半から大手出版社らが国際著作権保護支持に転じ、1891年に国際著作権改正法 (通称: チェース法) が成立した。なお、同時期の1887年にはベルヌ条約が発効しているが、米国は欧州への外交不干渉 (いわゆるモンロー主義) の立場から、原加盟を見送っている。 20世紀最大の改正と言われるのが、1976年制定・1978年施行の改正法である。これにより国際水準からの遅れを取り戻し、1988年にベルヌ条約批准に至っている。この背景には、1970年代から80年代にかけての米国の貿易赤字問題がある。著作権や特許権などの知的財産権を国際水準で保護することで、米国企業の国際競争力を回復させる必要性があった。また、1984年に米国がUNESCOから脱退したことも、ベルヌ条約批准と関係している。当時の米国は万国著作権条約に加盟していたが、この条約がUNESCO管理 (寄託) であったことから、UNESCO脱退後に代替となる著作権条約に加盟し、著作権政策の国際的な発言権を維持・強化する必要があった。 その後1990年代には、インターネットの普及に呼応する形で、国際社会がデジタル著作物の法的保護に取り組み始めた。1996年署名のWIPO著作権条約およびWIPO実演・レコード条約を履行する目的で、米国ではいち早く1998年にデジタルミレニアム著作権法 (DMCA) を成立させ、デジタル著作物に関する罰則と免責条件が明文化している。しかし著作権侵害が不明瞭でも「とりあえず削除」のインセンティブをインターネット事業者に与えうるとして批判は根強い。DMCA成立以降もデジタル著作物に関連する法案は連邦議会に多数提出されているが、2016年時点までに提出された主なデジタル著作権改正法案は全て廃案となった。 DMCA以来の大型法改正としては20年ぶりにあたる2018年10月、音楽著作物に限定する形で音楽近代化法(英語版) (Music Modernization Act、略称: MMA) が制定されている。MMA成立の背景には、音楽ストリーミング配信サービスの普及に伴い、楽曲の権利者とストリーミング配信事業者との間で訴訟に発展するケースが増えたことが挙げられる。
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