国際化の舞台裏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:54 UTC 版)
財政危機の間、インコムバンクやSBS-Agro、そしてメナテップといったメガバンクの預金は、政府の救済措置によってズベルバンクに移すことができた。しかしドル建て預金の利率は危機前のルーブル価にもとづいて低かったようだ。ズベルバンクは44万口座を新設した。個人預金の85%がズベルバンクへ集中した。ズベルバンクはGKOビジネスから鉱業投資へ軸足を移した。1999年に貸付額が2-3倍に増加した。ロシア公債を追加発行できるか見極めるため、国際通貨基金がズベルバンクの貸付内容を調べたいと申し入れた。2000年7月にズベルバンクは要求の一つを受け入れて、国際会計基準による結果を公表したが、透明性は十分でなかった。2001年、既発株より安く新株を発行してしまい、エドモンド・サフラのエルミタージュ(Hermitage Capital Management)が不公平を訴えた。ズベルバンクは無視した。2003年、エルミタージュがロンドンの銀行会議でズベルバンクのリスキーなオーバーローンを批判した。ズベルバンクの個人預金におけるシェアは70%を切った。シェアを奪った無保証の中小銀行は資金洗浄の巣窟になっていた。これを中央銀行のアンドレ(Andrey Kozlov)が駆逐しようとした。2006年、しかし、免許を取り消された銀行の経営者(Alexei Frenkel)に殺されてしまった。2008年、ズベルバンクの貸倒は1000億ルーブルに達した。2009年、ベラルーシの老舗BPS銀行の経営権を握り、さらにドイツとインドへ進出した。2012年、フォルクス・バンク・インターナショナル(VBI)を完全買収した。 2011年9月にズベルバンクはJPモルガン・チェースから輸出促進のため1億ドルを借り入れた。2012年、デニズバンクを買収するとき、ドイツ銀行とロスチャイルド、そしてグループ内の国際運用部門(CIB)がズベルバンクのフィナンシャル・アドバイザーだった。2013年1月、ズベルバンクはモルガンとRBSとゴールドマン・サックスの人材を登用した。
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