国際化の過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/02 07:13 UTC 版)
「フリーフライト (模型航空)」の記事における「国際化の過程」の解説
1944年にフランスに始まったCDH級は、現在のF.A.I.のF1G級と多少異なる規定であった。イギリスを始め各国に取り入れられながら、国際競技を経験し、様々な試行錯誤の結果が現在の規定である。 当初の機体制限は、 “ 動力ゴム重量10g以下、機体重量(動力ゴム含まず)70g以上、胴体断面積20平方cm以上、離陸発航(ROG)、最大滞空時間(MAX)2分 ” 1960年頃の英仏対抗競技から国際化が始まった。英仏対抗競技は長期間続いた。CDH級競技は1種目にまとめられたものではなく、4種目ほどに分けられていた。 上記は離陸発航(ROG)であるが、手投げ発航(HL)の種目が別に行われるようになった。もともと、模型飛行機の発航法は離陸が本筋であり、1955年までは国際級のW級(F1B級)も離陸であった。以後は手投げに改正され、1960年当時の国際競技はそれが基本になっていた。現在のF1G級は、この手投げ版のCDH級の流れになる。ただし、離陸発航には独特の面白さがあったので、離陸発航による競技も残された。 次に、全重量を80gより100gに増やした別種が誕生した。僅か20gの差であるが、100g型は静気流時の性能比較を指向し、汎用性のある80g型と異質の機種である。 更にF1G級では、上記の手投げ式80g型の胴体断面制限を削除し、より普及性の高い形で国際級競技規格に制定された。
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