同時代人による証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:56 UTC 版)
「シェイクスピア別人説」の記事における「同時代人による証言」の解説
同時代の文学者による、シェイクスピアの正体についての疑問の声も多く残っている。 ベン・ジョンソンとシェイクスピアの関係は極めて屈折したものであった。彼はシェイクスピアと友人で、「私は彼を愛していた」との言葉を残し、ファースト・フォリオの序詞としてシェイクスピアへの頌歌を寄せている。しかし、その一方ではシェイクスピアが非常に冗長であるとも書いている。役者達が「1行の無駄もない」とシェイクスピアを賞賛しているのを聞いたジョンソンは、「1000行は削ってもよかったはずだ」「彼には溢れんばかりの才能があったが、ときには抑制が必要だったのではないか」ともいっている。 同じ著書の中で、彼はシェイクスピアが「シーザーになりきって」(おそらく舞台上で)いったセリフを嘲笑している。「シーザーは不当な行ないはしない、正当な理由のあるとき以外は」("Caesar never did wrong but with just cause"、『ジュリアス・シーザー』第3幕第1場)というものだが、こうした「馬鹿げた」ことをシェイクスピアはしばしば書いたとジョンソンは評している。(実際にファースト・フォリオに収められている文面はこれとは異なり、「シーザーは不当な行ないはしないし、正当な理由なしに償いもしない」("Know, Caesar doth not wrong, nor without cause / Will he be satisfied")というもので、最後に別の語句が付け加えられているが、これは意味の通じるよう編纂者によって加筆されたものである。しかし、元の矛盾した言葉の方がシーザーの壮大な野心をうまく表しているかもしれないという解釈に基づき、再びつけ加えられた)。ジョンソンは自身の戯曲"The Staple of News"(1626年)において、直接シェイクスピアの名前は出さずに再びこのくだりを嘲笑している。反ストラトフォード派の中には、ジョンソンによるこれらのコメントを、シェイクスピアが真の作者であるということに対する疑念の現れであると解釈するものもいる。 ロバート・グリーン(Robert Greene)の死後に刊行された著書『三文の知恵』("Greene's Groatsworth of Wit"、1592年。刊行者である仲間の劇作家ヘンリー・チェトル(Henry Chettle)の作という説もある)においては、シェイクスピアを模した"Shake-scene"(舞台を揺るがす者)なる劇作家のことを、イソップ寓話を引いて「我々の羽毛で着飾った成り上がりのカラス」と呼んでおり、その後には露骨に『ヘンリー六世 第3部』第1幕第4場のヨーク公のセリフ"O tiger's heart wrapt in a woman's hide!"(「女の皮を被った虎の心よ!」)をもじって引用した「役者の皮を被った虎の心」なる皮肉が続く。グリーンの初期の著作"Mirror of Modesty"(1584年)の序文でも、「他の鳥の羽で自分を飾り立てたカラス」という同様の比喩で、自分の功績でもないことを自慢する人々を批判していることから、これはシェイクスピアを盗作作家として中傷したものと解釈される。ロンドンの劇壇がシェイクスピアに言及した文献として最も早いものとして知られる(と同時に、それによってしか知られていない)が、悪意に満ちたほのめかしがあるばかりで具体的にシェイクスピアのどこが盗作であり、何を非難しようとしているのかは明示されていない。高等教育を受けた当時の一流劇作家グリーンが、下層階級出身の俳優の分際で厚かましくも戯曲など書いて自分の領域に踏み込んできた得体の知れない作家のことが気に入らなかったのだろうという見解で大方の研究者は一致している(シェイクスピアの『冬物語』はグリーンの小説『パンドスト王』("Pandosto"、1588年)を種本としていたという説もあるので、これを盗作として憤慨していた可能性もある)。反ストラトフォード派にいわせると、これも当時からシェイクスピアが偽者であることを疑っていた人がいたという証拠である。ただし河合祥一郎は、「成り上がりもののカラス」は、シェイクスピアのことではなく俳優ジェイムズ・アレンのことだと論じている。ジョン・マーストン(John Marston)は風刺詩『悪行の鞭』("The Scourge of Villainy"、1598年)の中で、下層階級と肉体関係を結ぶことで「汚染」された上流階級のことを罵倒している。性的な比喩を散りばめながら、彼は問う。 Shall broking pandars sucke Nobilitie? Soyling fayre stems with foule impuritie? Nay, shall a trencher slaue extenuate, Some Lucrece rape?. And straight magnificate Lewd Jovian Lust? Whilst my satyrick vaine Shall muzzled be, not daring out to straine His tearing paw? No gloomy Juvenall, Though to thy fortunes I disastrous fall.売春業者は貴族を誑しこんでしまったのか?堕落の炎は忌まわしい不道徳まで広まるのか?否、奴隷の身の上であれば罪を軽くされるのか、ルークリースの陵辱の? そしてあら捜しをするのか、淫らなジュピターの欲望の? 私の好色な下らぬ詩が弾圧されるかたわらで 彼の鉤爪を抑えもせずに? 暗鬱なユウェナリスでもあるまいが、そなたの身代ゆえに私は破滅するだろう。 — ジョン・マーストン『悪行の鞭』 "gloomy"の語は、ローマ皇帝ドミティアヌスのお気に入りの俳優を痛烈に風刺した詩を書いたために祖国を追放された詩人ユウェナリスが後に暗い人間になったという伝承に基づく。つまりマーストンの詩はある俳優に向けられたものであり、そのような下層階級の「奴隷」による「ルークリース陵辱」の罪が酌量されてよいものかどうかと問うているものと見なすことができる。すなわち、この詩は『ルークリース陵辱』を取り上げて、「売春斡旋業者」シェイクスピアがサウサンプトン伯のような「貴族を誑しこんで」庇護を受けるに値するのかと異議を申し立てているという解釈が可能である。
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