同時代人の証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 17:32 UTC 版)
『後漢書』以前に成立した『三国志』の裴松之注に引用される、左慈と同時代人である曹丕の『典論』および曹植の『弁道論』にも左慈についての記述がある。 『典論』は、方士たちのことを論じた中で、潁川の郤倹、甘陵の甘始と並んで、廬江の左慈について記している。左慈は補導の術(房中術)に精通しており、補導とは気の働きで身体を活性化させる方法だとある。また、郤倹は穀断ちができ茯苓(松の根に寄生する茸)を服用した。甘始は行気(呼吸術)に巧みで年をとっても艶々した顔をしていたとある。 『弁道論』によると、世にいる方士たちを曹操が宮廷に招いた。甘陵から甘始が、廬江から左慈が、陽城から郤倹がやってきた。甘始は行気導引に巧みで、左慈は房中の術に明るく、郤倹は穀断ちをよくして、皆300歳と号した。彼らを宮廷に集めたのは、こういう連中が悪人とグルになって人々をだまし、迷信を煽り立てて民衆を惑わすことを恐れたためで、曹操や曹丕をはじめ誰も彼らの言うことを信じてはいなかったという。
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