京阪発祥説(京都発祥説)慶応 - 1867年まで
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「ええじゃないか」の記事における「京阪発祥説(京都発祥説)慶応 - 1867年まで」の解説
※京阪発祥説は、岩倉具視や福地源一郎などの同時代人の証言や西宮市史などの近畿地方の史料に基づく。 岩倉公実記の記述。八月下旬に始まり十二月九日王政復古発令の日に至て止む。 1897年 福地源一郎(幕臣・ジャーナリスト)の「懐往事談」の記述。慶応3年11月29日に大坂でええじゃないかを目撃し「或は云ふ。此御札降りは京都方の人々が人心を騒擾せしむる為に施したる計略かりと。其の果して然るや否やを知ざれども」と、原因に関する噂についても記述している。 西宮市史では、京都に始まり、大坂に移動と記述。 1933年 日本民俗学辞典 オフダガフル 豊橋発祥説確認できず。慶応2年 - 慶応3年の現象。西宮説と伊勢説の両説あり。伊勢説は見聞録による。当代記に、文禄のころに、伊勢神宮の御札が降ったのが最初。 1937年 静岡県鄉土研究 京阪発祥説。京阪から東海道に移動した。 1937年 国史上より観たる豊橋地方;大口喜六 豊橋発祥説の主張見られず。 御蔭参り=御札降り=よいぢゃないか を同一視する。御蔭参りが8月 - 12月と記述。曲尺手、船町、札木の名前はあるが、牟呂と羽田の名前はない。京都方の策動によるものと指摘。 1939年 一宮市史 8月の京阪発祥説。および、9月11日頃に、豊橋発祥説、名古屋に移動。
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