同時代及び後世の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:19 UTC 版)
義光について、軍記物においてであるが、以下のような評価が存在し、英雄視されていたことが分かる。 「義光公は智仁勇の三徳を兼ね、その誉れ世に高し。近隣従ひつかずといふことなし」(『最上義光物語』) 「およそ出羽十二郡の内、秋田城介の所領よりほかは、みな此の人の進退に任せけるは、且つ義光智勇の祖より超越したる故なり。」(『会津四家合考』) 「武勇は人にすぐれ、就中慈悲深くして諸士を深く労はり、たとえば親の子をあはれむ様にこそなし給へ。」(『会津四家合考』) 「其ノ性寛柔ニシテ無道ニ報ヒズ、然モ勇ニシテ邪ナラズ。誠ニ君々タレバ、臣々タリトカヤ。」(『奥羽永慶軍記』) また、「羽州の狐」、「奥羽の驍将」、「虎将」(官位・近衛少将の漢名である「虎賁郎将」からとった)と称されることがある。
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