同時代史家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/31 15:26 UTC 版)
「ハーバート・ファイス」の記事における「同時代史家として」の解説
プリンストン時代のファイスは、1950年の『眞珠湾への道』を皮切りに戦間期・戦時期の外交史研究を次々と発表する。これらの研究は、当時一般に公開されていなかった国務省・陸軍省などの米国政府史料や極東国際軍事裁判に提出された日本側史料などを米国政府各方面の協力を得て活用した著作であり、ファイスは同時代史研究の先駆として知られることとなる。 ファイスの研究は自らも政府内で政策決定に関与した時期を研究の対象としたこと、さらに政府の協力によって未公開史料を活用しえたことから、歴史解釈において米国政府の立場を代弁・擁護する「正統主義」的研究として認知されることとなった。そして、時にはその研究は修正主義者を自認する歴史家の批判の対象となった。 代表的な論点としては原爆投下の是非の問題と、冷戦の起源の問題がある。ファイスは著書Japan Subduedにおいて、原爆投下を対日戦争の早期終結、人命損失を抑制のために行なわれた政策決定として論じたが、後に修正主義者であるガー・アルペロビッツから、原爆投下の政策決定は将来的なライバルとなるソヴィエト連邦に原爆の破壊力を誇示するために行なわれたのであり、対日戦争の早期終結は次善の目的であったとする歴史解釈が打ち出されることとなった。ファイスはアルペロビッツの研究が発表された後に発表したJapan Subduedの増補改訂版である『原爆と第二次世界大戦の終結』においても、対日戦争終結が目的であったという解釈を引き続き採用している。 冷戦の起源についても、ファイスや後に続く正統主義研究は、その発生をソ連の敵対的・膨張的な行動に対して米国がやむなく防御的に対応していく過程として描くことで、ソ連により多くの責任を求める解釈を行なった。これに対しては、米国側の行動により多くの責任を求める修正主義者から批判が寄せられることとなる。これらの二つの論点は、冷戦という同時代的な状況を理解することへの知的関心と相まって、ファイスの研究以後も大きな争点を形成することとなった。 1984年に米国歴史学会(AHA)はファイスの業績を記念し、「ハーバート・ファイス賞」を設けている。
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