吉田耕作とは? わかりやすく解説

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吉田耕作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/26 03:00 UTC 版)

吉田 耕作
(よしだ こうさく)
吉田耕作 (1969)
生誕 (1909-02-07) 1909年2月7日
日本広島県
死没 (1990-06-20) 1990年6月20日(81歳没)
国籍 日本
研究分野 数学
研究機関 大阪大学
名古屋大学
東京大学
京都大学
学習院大学
出身校 東京帝国大学理学士
大阪帝国大学理学博士
主な業績 関数解析学
主な受賞歴 藤原賞(1964年)
日本学士院賞恩賜賞(1967年)
プロジェクト:人物伝
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吉田 耕作(よしだ こうさく、1909年明治42年〉2月7日 - 1990年平成2年〉6月20日)は、日本数学者東京大学京都大学名誉教授。日本学士院会員。ソビエト連邦科学アカデミー外国人会員。関数解析学確率論を専門とし、特に半群理論における「ヒレ−吉田の定理」(1948年)で知られる。

日本国内では関数解析学の草分けであり、後進の育成に尽くし、多数の著作がある。日本数学会理事長を計7期務め(1957・59・62・64・65・67・72年度)、これは彌永昌吉に次いで2番目の多さである。

生涯

1909年、広島県生まれ。1931年東京帝国大学理学部卒業。1933年大阪帝国大学理学部数学科助手。1939年理学博士大阪帝国大学)。学位論文の題は「距離つけられたる完備なる環に横たわる群について」。

1942年名古屋帝国大学理学部数学科教授。1953年大阪大学理学部数学科教授。1954年アムステルダムで開催された国際数学者会議で全体講演[1]1955年東京大学理学部数学科教授。1967年5月23日、日本学士院恩賜賞受賞(「近代解析の研究」)。1969年3月、東京大学定年退官。1971年12月13日、日本学士院会員。1969年京都大学数理解析研究所長(1972年迄)。のち学習院大学教授。

1990年6月20日、死去。

著書

論文集

共著・編著・共編著

翻訳

※他に1980年代まで、教育出版発行の算数・数学教科書の著作にも携わっていた。

脚注

  1. ^ ICM Plenary and Invited Speakers 国際数学者連合公式サイト(英文)

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