印刷業・ジャーナリズム
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「フリート・ストリート」の記事における「印刷業・ジャーナリズム」の解説
「en:History of British newspapers」および「イギリスの新聞一覧」も参照 フリート街の印刷業は、1500年頃にウィリアム・キャクストンの弟子ウィンキン・デ・ワード(英語版)がシュー・レーン(英: Shoe Lane)に始まるとされ、同時期にはリチャード・ピンソン(英語版)も聖ダンスタン教会(英語版)の隣で印刷出版業を営み始めた。この後多くの印刷業・出版業者がこれに続いたが、地区にあった4つの法曹院での法取引用に多くが用いられ、一部は書籍・戯曲の出版にも使われた。 1702年3月、ロンドン初の日刊紙『デイリー・クラント(英語版)』の第1号がフリート街で発行され、『モーニング・クロニクル(英語版)』紙がこれに続いた。出版社ジョン・マリーは1762年にフリート街32番地へ会社を構え、1812年のアルバマール・ストリート(英語版)移転まで入居していた。19世紀初頭には、紙税をはじめとした種々の税金のために、新聞の人気が制限されることになった。フリート街177番地から178番地に入居していた「ピールのコーヒー・ハウス」(英: Peele's Coffee-House)が人気となり、1858年から活動を始めた紙税廃止運動協会(英: The Society for Repealing the Paper Duty)の主な会議場所として頻回に使われた。協会の活動が実り、紙税は1861年に撤廃された。1855年の新聞税廃止を受け、フリート街での新聞発行はますます栄えることになった。1880年代には「ペニー・プレス」(英: "penny press")と呼ばれる定価1ペニーの新聞が人気となり、その後多くの新聞が統合されて少数の全国版新聞へと生まれ変わった。 20世紀までにフリート街やその周辺地区は、全国的な通信社やその関連産業で占められるようになっていた。1931年に『デイリー・エクスプレス』紙が入居したフリート街121番地から128番地は、オーウェン・ウィリアムズ(英語版)がデザインしたもので、ロンドン初のカーテンウォール建築だった。建物は新聞社が移転する1989年まで持ちこたえ、2001年に改修工事が行われた。『デイリー・テレグラフ』紙はフリート街135番地〜142番地に入居していた。現在は旧『デイリー・エクスプレス』社屋がグレードII*、旧『デイリー・テレグラフ』社屋がグレードIIのイギリス指定建造物である。1930年代にはフリート街67番地に25もの出版業者が入居していたが、この時期までには英国家庭が購入する日刊紙の大半はフリート街発のものになっていた。 1986年、ニュース・インターナショナル(現ニュースUK(英語版))のオーナーであるルパート・マードックは、『タイムズ』と『ザ・サン』の発行をタワーハムレッツ区ワッピングに移して行うと発表して物議を醸した。マードックは、フリート街で新聞を発行しても利益は望めない上、印刷業者の組合であるナショナル・グラフィカル・アソシエーション (National Graphical Association; NGA) やソサエティ・オブ・グラフィカル・アンド・アライド・トレーズ (Society of Graphical and Allied Trades; SOGAT) の力が強すぎると考えていた。また、時のイギリス首相だったマーガレット・サッチャーもこの意見を支持した。フリート街で雇われていた印刷スタッフは全員が解雇され、ワッピングの工場ではエレクトリカル・エレクトロニック・テレコミュニケーションズ・アンド・プラミング・ユニオン (Electrical, Electronic, Telecommunications and Plumbing Union; EETPU) 出身の新スタッフが雇われ、コンピューター制御の操業を行って、古い組合の印刷所をすっかり時代遅れにしてしまった。一連の「ワッピング争議(英語版)」では、フリート街・ワッピング双方で1年以上にわたり猛烈な抗議運動が繰り広げられたが、結局他の発行元も要請に従い、フリート街を出てカナリー・ワーフやサザークに移転することにした。2005年のロイター通信移転が、大手メディアの移転として最後のものになった。一方で同じ年には、『デイリー・テレグラフ』・『サンデー・テレグラフ(英語版)』両紙が、カナリー・ワーフから再移転して、2006年にロンドン中心部のヴィクトリア(英語版)に発行拠点を移すと発表した。 ワッピング争議の一方で、フリート街に残った印刷業者も存在する。『ザ・ビーノ(英語版)』を発行するDCトムソン(英語版)のロンドン支社は、フリート街185番地に存在する。イギリス連邦放送連盟(英語版)の本部は、独立系官報出版社のウェントワース・パブリッシング(英: Wentworth Publishing)と同じ17番地にある。AP通信もフリート街にオフィスをひとつ構えているほか、2013年にゴールダーズ・グリーン(英語版)に移転するまでは『ジューイッシュ・クロニクル』紙もフリート街に入居していた。イギリスジャーナリスト協会(英: British Association of Journalists)の本部は89番地に存在し、無料新聞『メトロ(英語版)』を発行するメトロ・インターナショナルは、85番地に居を構えている。 イギリス全国版の大手新聞社は、多くがフリート街の外へ移転してしまったが、現在でも通りの名前は印刷出版業を指すシノニムとして扱われている。隣接するセント・ブライズ・レーン(英: St. Brides Lane)にあるセント・ブライド図書館(英語版)は、活字・出版業に関連するコレクションを所有するほか、印刷技術・方法を習得する講座も開設されている。ブーヴェリー・ストリート(英語版)を下ったマグパイ・アリー(英: Magpie Alley)には、この地区の新聞発行の歴史を紐解く壁図が存在する。 DCトムソンが発行し、ダンディーに本部を置く『サンデー・ポスト(英語版)』紙は、2016年に最後の記者2人が離任して、ロンドン支社を閉鎖した。
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