印刷本の大量生産と普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:51 UTC 版)
可動式活字印刷機の発明は、ほんの数十年以内にヨーロッパ全域での印刷活動を激増させた。ドイツのマインツにある単一の印刷所を起点に、印刷は15世紀の終わりまでに、中央ヨーロッパ、西ヨーロッパ、および東ヨーロッパの約270都市に普及した。1480年には早くも、ドイツ、イタリア、フランス、スペイン、オランダ、ベルギー、スイス、イギリス、ボヘミア、ポーランドの110か所で活発な印刷所があった。この時期から「印刷書籍はヨーロッパで普遍的に使用されていた」と推定されている。 印刷初期の中心地であるイタリアでは、1500年までに77の市と町に印刷所が設立された。次の世紀の終わりには、イタリア国内151の場所で一度に印刷が行われ、合計で約3000台の印刷機が稼働していたことが分かっている。この急増にもかかわらず、印刷の中心地がすぐに登場した。そのため、イタリアの印刷業者の1/3がヴェネツィアで出版していた。 1500年までに、西ヨーロッパ全域で稼働している印刷機はすでに2000万部以上を生産していた。次の世紀に、それらの生産量は10倍に増えて推定1億5000千万から2億部数になった。 1600年頃のヨーロッパの印刷機は、1営業日あたり約1500部数を生産することができた。比較すると、東アジアの書籍印刷は印刷機を使用せず、木版印刷のみで行われていた。 エラスムスの作品のうち、少なくとも75万部が彼の一生の間 (1469-1536)に販売された 。改革の初期に、大量印刷の革命的な可能性は、君主たちや教皇庁を一様に驚かせた。1518年から1524年の間に、ドイツだけで本の出版が7倍に急増した。1518年から1520年の間に、ルター[要曖昧さ回避]の小冊子は30万部の印刷物で配布された。 活字テキストの生産が急速で単価が大幅に下がったことで、最初の新聞(Relation紙)が発行され、最新の情報を一般公衆に伝えるためのまったく新しい分野が開けた。 ヨーロッパや北アメリカでは、16世紀以前の印刷物インキュナブラが多くの図書館によって収集され、現存している。
※この「印刷本の大量生産と普及」の解説は、「印刷機」の解説の一部です。
「印刷本の大量生産と普及」を含む「印刷機」の記事については、「印刷機」の概要を参照ください。
- 印刷本の大量生産と普及のページへのリンク