印刷業の開始
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1881年(明治14年)3月『明治九年改正 佐渡国地租改正諸種一覧表』を出版し、印刷技術の利便性を認識した。1882年(明治15年)9月佐渡三郡戸長会議で議長を務めた際、郡長粟野匡が従来116町村で回覧していた通達文書を印刷するため活版印刷機を共同購入する議案を提出すると、審議前に自ら印刷業の経営を名乗り出た。 相川富田新右衛門の友人広川新平に東京での印刷機の購入と印刷工の斡旋を依頼し、1883年(明治16年)1月機械と印刷工指田芳次郎が到着すると、2月10日鍛治町の自宅で斎藤活版印刷所を開業し、3月『佐渡全州地誌摘要』を刊行した。12月3日長男長三の徴兵回避のため隠居し、事業を譲った。 1884年(明治17年)4月佐渡新聞社創立を宣言して株主募集に奔走中、1885年(明治18年)8月相川塩屋町小池又平旅館で発病し、11月27日死去した。諡号は経写院広徳本願居士。
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