南側諸国とは? わかりやすく解説

南側諸国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 08:53 UTC 版)

竹のカーテン」の記事における「南側諸国」の解説

日本韓国、台湾などの自由主義国を指す。民主的な国もあったが、軍事政権なども多かった日本国 通称日本」。55年体制呼ばれる自由民主党長期政権宗谷海峡挟んでソ連向かい合うアメリカ同盟結んでいるが、それに反対する国内左翼安保騒動巻き起こした同国海上保安庁1953年ラズエズノイ号事件ではソ連のスパイと、2001年九州南西海域工作船事件では北朝鮮スパイ交戦している。 大韓民国 通称韓国」。軍事政権38度線挟んで北朝鮮向かい合う1950年から1953年まで朝鮮戦争戦い1968年青瓦台襲撃未遂事件では朴正煕大統領1983年ラングーン事件では全斗煥大統領暗殺未然に防ぐ事ができたが、1987年大韓航空機爆破事件を防ぐ事は出来なかった。ベトナム戦争では南ベトナム側加勢1987年民主化している。 中華民国 通称台湾」。中国国民党一党独裁台湾海峡挟んで中国向かい合う国共内戦敗戦し、台湾逃れてからも大陸反攻掲げ中華民国」を名乗り続ける。3度台湾海峡危機では中国一触即発状況に陥り、ベトナム戦争では南ベトナム側加勢1980年代後半から民主化進んだフィリピン共和国 通称フィリピン」。開発独裁体制アメリカの植民地から独立した経緯もあり、親米反共体制敷いてSEATO加盟し朝鮮戦争では韓国側ベトナム戦争では南ベトナム側加勢した。フィリピン共産党などの左翼ゲリラ政府交戦もあった。1980年代後半から民主化ベトナム共和国 通称南ベトナム」。軍事政権17度線挟んで北ベトナム向かい合い反共体制敷いた国内潜伏し左翼ゲリラベト・コンテロ悩まされた。1963年から1975年まで続いたベトナム戦争敗戦1975年サイゴン陥落崩壊。現在はベトナム一部となっているが、アメリカ亡命政府がある。 ラオス王国 通称ラオス」。軍事政権冷戦では中立であろうとしたが、君主制である事から必然的に反共であり、ラオス内戦左翼勢力パテート・ラーオ戦った。しかしベトナム戦争が始まると北ベトナム支援受けたパテート・ラーオ優勢になり、1975年内戦敗れ崩壊。現在は社会主義体制ラオス人民民主共和国となっている。 タイ王国 通称タイ」。軍事政権SEATOにも加盟した反共体制朝鮮戦争では韓国側ベトナム戦争では南ベトナム側加勢しタイ国共産党などの左翼ゲリラ戦い鎮圧したビルマ連邦 通称ビルマ」。軍事政権反共国家ありながら政策的に容共であり、1960年国共内戦敗れた国民革命軍国内侵入して時には中国人民解放軍協力して国民革命軍戦った1960年代からはビルマ式社会主義取り入れ西側諸国から離脱したブータン王国 通称ブータン」。絶対君主制長年鎖国政策をとり、保守的な政治行ったが、冷戦後2000年代から民主化進んだパキスタン・イスラム共和国 通称パキスタン」。軍事政権SEATO加盟した反共体制だが、隣国インド対立し3度印パ戦争戦った事もありインドとの関係が悪い中華人民共和国との関係強化している。また、冷戦後反米イスラム過激派組織ターリバーンの関係も強めるなど、必ずしもアメリカとの関係良好なわけではない

※この「南側諸国」の解説は、「竹のカーテン」の解説の一部です。
「南側諸国」を含む「竹のカーテン」の記事については、「竹のカーテン」の概要を参照ください。

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