南側斜面を登る道とは? わかりやすく解説

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南側斜面を登る道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 07:26 UTC 版)

岐阜城」の記事における「南側斜面を登る道」の解説

現在金華山ドライブウェイがあるが、所々途切れた登山道があり、ドライブウェイ開発時に拡張され消滅した部分もあると思われる七曲口(大手道) 距離:約1900m。かかる時間:約60分。斎藤道三造ったとされ、岐阜城大手道として岐阜城用事がある際使われていた。信長岐阜城訪れたルイス・フロイス山科言継が登った道でもある。大手道の総門は、常在寺前にあった。ここから西へ伸びる道は「七曲道」と言われ、昔からある道路で現在は拡張されている。常在寺向かいにある妙照寺竹中半兵衛屋敷跡で、山寄りの門は岐阜城移築現存門である。 砦の跡が多く見られ大堀切や、岩場削った跡や道の端に積み石残っている。また、現在石段がある直線的な登山道から外れ、旧登山道所々つづら折れ残っていて、当時登山道雰囲気感じる事が出来る。また、道三が造った大堀切からドライブコースへ出ると小さな広場があるが、そこから岩戸公園出られる登山道がある。この平場も砦や門などがあって兵士詰め所あったかしれない。 道三の時代から今に至るまで岐阜城への登山道の中で最もなだらかな登山道であるが、山科言継の『言継卿記』には、「信長許可をうけ、武井夕庵案内七曲道から登城した。山上城中音曲囃子などの後、信長もてなし食事ご馳走になったその後城内信長案内見物したが、道があまりにも険しく大変であったので、風景どころではなかった。」と記されている。 稲葉山城の戦いでは、西美濃三人衆攻め上がり岐阜城の戦いでは、総門口を津田藤三郎、七曲口を木造具康父子守り福島正則攻め上がった城郭部分では、硝煙庫(現、リス)の東脇に出る。 道三が作った堀切近代入って発破拡張されたようである。更にこの堀切から下は近代入って付け替えられている為、昔の面影少ない。登山道口も、昔の正確な位置分からない

※この「南側斜面を登る道」の解説は、「岐阜城」の解説の一部です。
「南側斜面を登る道」を含む「岐阜城」の記事については、「岐阜城」の概要を参照ください。

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