南僑総会(NCRGA)
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1929年、中国国民政府は、陳を中央僑務委員会の名誉顧問に任命し、1935年には学校教育振興の功労を表彰して勲二等に叙勲して、陳の支援を促していた。1936年に陳は、国民政府からの「南洋華僑による軍用機製造費の献納」要求に対して「蔣介石の生誕祝賀募金」の名目で募金総額を寄付。1937年には胡文虎とともに国民参政会の委員に任命された。 1937年に日中戦争が始まると、シンガポールで祖国救援運動、特に籌賑会の活動を主導し、翌1938年8月15日にシンガポール華僑籌賑祖国難民大会(SCCRGA: Singapore Chinese China Relief General Association)を組織、国民政府からの勧告を受けてその年の10月10日に東南アジアの華僑代表が集まって結成された南洋華僑籌賑祖国難民総会(NCRGA: Nangyang Chinese Relief General Association: 南僑総会)の主席に選ばれた。籌賑会は救国公債の募集、難民救済のスローガンの下、中華総商会や各地の郷党会を通じて資金・物資を集め、援助資金・物資として中国の国民政府に送るとともに、英領マラヤで日貨排斥などの排日運動を展開し、抗日救援活動を続けた。 陳は、英国政庁の僑務担当官ジョーダンの顧問となり、同担当官の補佐で福建人の孫崇瑜を通じて英植民地当局の「中国軍への軍事費援助にあたる募金運動は許可しない」「在留日本人との共存関係を損なう排日政治運動は許可しない」という行政方針に協力、募金の使途を難民救済のための社会福祉活動に限定し、シンガポールで活動する中国国民党支部やマラヤ共産党から距離を置き、1939年秋には欧州戦線の英軍傷病兵救済のためとして李光前の募金団体を通じて2万シンガポール・ドルを英国政庁に寄付するなどしてトーマス(英語版)総督の信頼を保持し続け、英国政庁の弾圧を免れた。
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