千日デパートビルのフロア構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 22:45 UTC 版)
「千日デパート火災」の記事における「千日デパートビルのフロア構成」の解説
火災発生当時のフロア構成は以下のとおりである。太字は本件火災に関係するテナントまたは設備を表す。床面積の単位は平方メートルである。 火災発生当時・1972年(昭和47年)5月13日の千日デパートフロア構成フロア床面積テナント・設備など塔屋3階134.00 企業事務所 電気室 クーリングタワーなど 塔屋2階156.00 企業事務所 エレベーター機械室など 塔屋1階200.00 売店 園芸店 ペットショップなど計5店舗 屋上1,290.00 屋上遊園地など 7階1,780.00 プレイタウン 空き事務所(元メキシコ領事館) 文書保管庫 空調機械室など 6階3,350.00 遊技場(ゲームセンター) 千土地観光事務所 千日劇場跡(ボウリング場へ改装中) 従業員食堂など 5階2,049.00 直営均一スーパー(9店舗) 全国の物産と観光センター 美容室 ニチイ商品管理室 ニチイ店員食堂など 4階3,520.00 ニチイ千日前店 ニチイ事務所 ニチイ商品倉庫 電話交換室 空調機械室など 3階3,665.00 ニチイ千日前店 店舗(4店舗) 歯科医院 ニチイ従業員更衣室 ニチイ寝具呉服倉庫 空調機械室など 2階3,714.00 店舗(44店舗) 千日デパート事務所 店舗事務所 テナント店員更衣室など 1階3,796.64 店舗(63店舗) 外周店舗(19店舗) 出入口(7か所) 保安室 商品荷捌き場など 地下1階3,860.00 ニチイ地下食品街 食料品店・飲食店(25店舗) 直営催事場(人形館) プレイタウン専用エレベーターホール 出入口(1か所) 電気室 機械室 重油タンクなど 合計27,514.64 入居テナント数=176店舗(千日デパート直営店舗と企業事務所を含む) 特筆すべき点は以下のとおりである。 7階プレイタウンを含む各テナントは、千日デパートからフロアを賃借して賃料と保証金を納めて営業していた「賃貸業者」であるが、地下1階の催事場(人形館)と5階均一スーパーは千日デパートの直営である。 千日デパートの管理権原者は、同デパートの店長である。店長は日本ドリーム観光本社の常務取締役の地位にあり、本社総務部長、本社営業企画課長も兼務していた。普段は本社で勤務しており、千日デパート2階に置かれたデパート管理部には週1回程度、短時間顔を出す程度だった。実質的に千日デパートビルの維持管理を統括し、防火管理や設備維持などの業務を担当していたのはデパート管理部次長である。また同デパートビルの防火管理者に選任されていたのはデパート管理部管理課長である。同管理課長は、1967年(昭和42年)3月1日から1968年(昭和43年)10月ごろまでと、1969年(昭和44年)4月30日から本件火災当日まで防火管理者の地位に就き、店長および管理部次長の指揮監督を受け、同ビルの防火管理にあたっていた。 千日デパートでは、大阪市消防局・南消防署提出の消防計画書に記載されている防火管理責任組織表に従い、防火管理者を7階を除く各階売場の27管理区域に置き、各設備を9つに区分して防火管理を行うことになっていた。また千日デパートの防火管理規定では、デパートビルに出入りする業者にも当該規定を適用することになっていた。 7階プレイタウンは、千日デパートのオーナー会社である日本ドリーム観光が全額出資(資本金100万円)して1963年(昭和38年)6月に設立した千土地観光が経営するアルバイトサロンである。千土地観光は、日本ドリーム観光の風俗営業部門の経営を担っていた。プレイタウンは、千土地観光が経営する風俗店10店舗のうちのひとつであり、親会社(日本ドリーム観光)が経営する千日デパート7階フロアの一部を賃借して営業していた。またそれらの10店舗は、すべて親会社の日本ドリーム観光の資産であり、子会社の千土地観光が各店舗を親会社から賃借して営業していた。つまり7階プレイタウンは、千日デパートにとって「身内のテナント」であるわけだが、なぜかプレイタウンは千日デパートの自衛消防組織および防火管理責任組織からは切り離されており、それらの組織表には組み込まれていなかった。千日デパートの防火管理上において7階プレイタウンは、テナントのひとつであるにもかかわらず放置されたも同然の状態に置かれていた。 火災当日1972年(昭和47年)5月13日の時点で、千日デパートは以下の工事を行っていた。ニチイ千日前店の3階と4階の売場では、同月22日から1週間かけて売場改装に伴う大がかりな電気配線増設工事が計画されており、火災発生1週間前の5月6日から準備工事が始まっていた。火災当日も準備工事は行われる予定になっており、数回に分けて工事が進められていた。デパート閉店後の夜間も工事を予定しており、21時から翌朝4時まで作業する手筈になっていた。この電気工事は、ニチイ千日前店が千日デパートから賃借している3階と4階の売場改装工事を計画したことから、1972年(昭和47年)3月に日本ドリーム観光から工事の承認を受けた。しかしニチイ千日前店は、実際の工事に際して日時や内容、人員などに関する届をデパート側に提出していなかった。一方で工事を請け負った元請会社の工事監督は、5月6日から同月26日までは夜間工事になることから配慮を願う旨の「入店願い」を書面で提出していた。またこの一連の電気工事に先がけて千日デパート管理部次長からニチイ千日前店店長に対し、防火の要望書が渡されていた。さらに火災前日の12日には、千日デパート側がニチイと工事業者を集めて工事の要望に関して再度話し合っている。特に喫煙については、所定の場所に水を入れた容器を置き、そこで喫煙すること、また吸殻はその容器に捨てるように申し渡していた。。また消防設備(消火器)の確保も指示していた。この措置は、自治省消防局長通達「百貨店等における工事現場の防火指導について(1970年消予第985号)」に基づき、南消防署長が千日デパートに対して指導していたことで実施されたものである。 6階では千日劇場跡をボウリング場に改装する工事中だった。この工事は1972年4月28日から開始されていたもので、7階で営業する「プレイタウン」の6階拡張営業エリアを4月17日に廃止したうえで実施されていた。日本ドリーム観光・千日デパート管理部は、ボウリング場改装工事を実施するにあたり、同年3月23日に南消防署に相談を行ったうえで4月15日に工事届を提出した。ところが書類の記載に不備があり、同消防署から再提出を指示され、その準備をしていたところに本件火災が発生した。なおニチイ千日前店の工事も同様に南消防署から工事届を提出するように指示されていて、その準備中であった。火災当日は鉄骨の切断や廃材の積み下ろし作業を中心に22時30分までの予定で工事が進められていた。作業現場には鉄骨の溶断に使用するためのアセチレンガスボンベ1本と酸素ボンベ2本(いずれも重量40キログラム)が置かれていた。
※この「千日デパートビルのフロア構成」の解説は、「千日デパート火災」の解説の一部です。
「千日デパートビルのフロア構成」を含む「千日デパート火災」の記事については、「千日デパート火災」の概要を参照ください。
- 千日デパートビルのフロア構成のページへのリンク