千日デパート大火災被災者慰霊碑
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「千日デパート火災」の記事における「千日デパート大火災被災者慰霊碑」の解説
千日デパート火災で犠牲になった118人を慰霊する追悼施設は、1976年(昭和51年)11月13日に和歌山県・高野山大霊園に慰霊碑が建立された。同日正午より高野山別格本山明王院住職を始めとする職衆6口や遺族約170人が参列して開眼供養の法要が営まれた。法要は毎年5月におこなわれるが、火災事故から4年目となった同年5月の法要の折に遺族の間から「慰霊碑建立を」と話が持ち上がった。前年の年末に損害賠償請求訴訟において和解が成立していた。被害者遺族には早期に決着が図られたことへの安堵した感情もあったが、一方で中途半端な形で補償がまとまったことや火災関係各社の責任追及が曖昧なまま終わったことへの不満も少なくなかった。それでも遺族の心情に一定の区切りがつき、節目を迎えたことが後押しに繋がった。遺族は火災関係4社や一般の人々に呼びかけをおこない、企業42社および約1,500人から集めた合計1,200万円の浄財によって慰霊碑は建立される運びとなった。当初は慰霊碑を火災現場に建てるべきだとの意見も出されたが、最終的には高野山の地に建てることで落ち着いた。慰霊碑は、霊園の見晴らしの良い丘の上に建立された。漆黒の御影石で造られた碑には「千日デパート大火災被災者慰霊碑」と刻まれ、その傍らにある碑文には、突然に命を奪われた犠牲者の無念、遺族の怒り、事故を風化させてはならない思い、惨事の再発防止に向けた願い、それらを一つにまとめた文言が刻まれている。 記 昭和四十七年五月十三日午後十時二十七分頃大阪市南区千日デパート(地下一階地上七階)の雑居ビルの三階より出火、流入した猛煙により炎熱の地獄と化し逃げ道を必死に求めその苦しさに肉親の名を叫びながら遂に力尽き窒息死又は転落死による百十八名のいたましい犠牲者をだす日本最高の凄惨な大火災となる。事故後遺族の会(九十一遺族)は法廷内外において「いのち」の尊さを訴え防火設備等の充実に闘い続ける。ここに悲惨事を再び繰返えさないように願いをこめ「命は地球より重い」を合言葉に多くの人のカンパの援助を元に各精霊の未来永劫に安かれと祈念するとともに地球上からの災害絶無を期し末長くより多くの人たちの命を守る慰霊碑として建立す。 — 千日デパート遺族の会 慰霊碑建設委員会、千日デパート大火災被災者慰霊碑 1976-11-13 「逃げ場を必死に求めてその苦しさに肉親の名を呼びながら終に力尽き」「悲惨事を再び繰返えさないように願いをこめ」「地球上からの災害絶無を期し末長くより多くの人たちの命を守る慰霊碑として建立す」などの一節は最も印象的かつ象徴的である。建立同日の明王院での第5回供養法要では、遺族会代表の挨拶および各関係者からの追悼の辞が捧げられ、その後に読経の中を遺族らの焼香がおこなわれ、二度と惨事を繰り返さないよう念願された。
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