北方領土に関する日露の枠組み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:12 UTC 版)
「北方領土問題」の記事における「北方領土に関する日露の枠組み」の解説
戦後になると、北方領土を実効支配したソ連が、周辺海域で操業する日本の漁船を領海侵犯等の理由で取り締まるようになった。 日本政府は上述のトラブルを避けて、北方四島の海域で日本の漁船が操業できるようにするための協定が日ロ(日ソ)の間で締結されるようになった。 1963年に発効した「日ソ貝殻島昆布採取協定」(日ロ貝殻島昆布採取協定)は民間協定という形で、歯舞群島の貝殻島付近において、日本の漁業者が昆布漁をできるようにする取り決めで、北海道水産会という民間団体とソ連(ロシア)の関係当局とが毎年話し合って収穫できる昆布の量を決め、採取権料をソ連(ロシア)側に支払って漁を行う内容になっている。 日ソが200海里漁業水域を設定したことに伴い、それぞれ相手国200海里水域内で行う漁業についての交渉が行われ、1978年に日ソ漁業暫定協定とソ日漁業暫定協定が同年12月に締結され、発効された。 1985年に発効した日ソ地先沖合漁業協定(日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の両国の地先沖合における漁業の分野の相互の関係に関する協定)は、日ソ漁業暫定協定とソ日漁業暫定協定を一本化し、両国政府が自国の二百海里水域における他方の国の漁船による漁獲を許可することのほか、相手国の漁船のための漁獲割り当て量等の操業条件の決定の方法、許可証の発給、漁船の取り締まり、漁業委員会の設置等について規定されている。有効期間は3年間とし、その後はいずれか一方が終了通告を行わない限り、1年ずつ自動的に延長される。日本側は水域の資源管理という名目で、協力費をソ連(ロシア)側に支払っている。 これらの協定は、1991年12月以降、国家としてソ連を引き継いだロシア連邦との間で引き続き有効である。 1998年には、北方四島の12海里水域(領海)における日本漁船の安全操業の枠組みを定める「日本国政府とロシア連邦政府との間の海洋生物資源についての操業の分野における協力の若干の事項に関する協定」(北方四島周辺水域における日本漁船の操業枠組み協定)が発効された。北方四島周辺の12海里水域(領海)で日本の漁業者が漁をできるようにする取り決めであり、毎年協議が行われ、操業条件が話し合われる。この協定には違法操業に対する取締りの規定はない。有効期間は3年間とし、その後はいずれか一方が終了通告を行わない限り、1年ずつ自動的に延長される。日本側は水域の資源管理という名目で、協力費をロシア側に支払っている。 2015年6月にロシアで排他的経済水域内でのサケ・マスの流し網漁を全面的に禁止する法案を可決し、2016年から施行されたが、北方領土におけるロシアの排他的経済水域内の漁業において流し網漁に依存する日本漁船に大きな影響が出ると見られている。 「北洋漁業」も参照 1964年から、元島民及びその親族による北方領土にある先祖の墓所への参拝が人道的観点から断続的に実施されている。当初は簡単な証明書で渡航出来ていたが、ソ連側から旅券の携行を強く要求されたため1976年に一旦中断。10年後の1986年に口上書が交換され、再び簡単な証明書での墓参が実現した。また、日本国民の北方領土関係者およびロシア人北方領土居住者に対するビザなし渡航が1991年の日ソ首脳会談で提案され、1992年4月から実施されている。 1991年12月のソ連崩壊に伴って、ロシアを含む旧ソ連諸国と日本とで1993年に「支援委員会の設置に関する協定」が締結・発効された。支援委員会は旧ソ連諸国の市場経済への移行を促進するメカニズムとして設置され、ロシアが実効支配する北方四島においては市場経済への移行を促進するためとして北方四島の診療所や発電所や緊急避難所兼宿泊施設に支出された。2002年の鈴木宗男事件発覚により、支援委員会の不透明さが問題視されて廃止された。 また、日本政府は北方四島の地区病院への医療器具や薬品の提供、北方四島の医師・看護師等の研修受け入れ、北方四島の患者の北海道の病院受け入れ という形で北方四島へ医療支援をしている。
※この「北方領土に関する日露の枠組み」の解説は、「北方領土問題」の解説の一部です。
「北方領土に関する日露の枠組み」を含む「北方領土問題」の記事については、「北方領土問題」の概要を参照ください。
- 北方領土に関する日露の枠組みのページへのリンク