北方集団と南方集団の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:30 UTC 版)
「ハンガリー・ルーマニア戦争」の記事における「北方集団と南方集団の戦い」の解説
ハンガリー軍の北方集団は7月20日にラカマズとその周辺の幾つかの村を奪取した。ルーマニア第16師団は村落へ後退したが、第2山岳猟兵師団の支援を受けて翌日にはラカマズを奪回している。ハンガリー軍は攻撃を再開し、砲兵の支援のもとに再度ラカマズと周辺の二つの村を奪取したが、敵の防衛線を突破することはできなかった。そのため、ハンガリー軍は第80国際旅団とともにルーマニア陣地を迂回してより南方のティサフュレドからティサ川を渡河しようと試みたが、ルーマニア軍第16師団によって阻止されてしまった。ルーマニア軍は第20師団の一部を投入し24日にまでに辛うじてティサフュレドの橋頭保周辺を掃討した。ハンガリー軍はラカマズから突破できないため、陣地を構築し幾つかの部隊は他へ再展開させた。北方戦線は膠着し、26日になってルーマニア軍が再攻撃を行い激しい戦闘の末になんとかハンガリー軍の橋頭保を掃討でき、ルーマニア軍はティサ川東岸の支配を完成させた。 南方ではハンガリー第2師団はルーマニア軍第89、第90連隊(第18師団所属)の守るセンテシュの奪取に2日を要した。21日から22日、ホードメゼーバーシャールヘイはハンガリー軍とルーマニア軍第90山岳猟兵連隊(第1山岳猟兵師団所属)が奪い合い、幾度か主を変えている。23日に最終的にルーマニア軍がホードメゼーバーシャールヘイ、センテシュとミンドセントを再占領してハンガリー軍をティサ川へ押し返しこの方面での戦闘を終わらせた。これによってルーマニア軍は第1山岳猟兵旅団をハンガリー軍の攻撃が順調に進んでいる中央方面に投入する余裕ができた。
※この「北方集団と南方集団の戦い」の解説は、「ハンガリー・ルーマニア戦争」の解説の一部です。
「北方集団と南方集団の戦い」を含む「ハンガリー・ルーマニア戦争」の記事については、「ハンガリー・ルーマニア戦争」の概要を参照ください。
- 北方集団と南方集団の戦いのページへのリンク