出版の形態
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「与謝野晶子訳源氏物語」の記事における「出版の形態」の解説
最初に刊行された際には、「上巻」・「中巻」・「下巻一」・「下巻二」という全4冊の構成であり、4冊通し頁になっている。 「新訳源氏物語 上巻」 1912年(明治45年)2月刊行桐壺から乙女までの21帖 461頁 上田敏と森鴎外による序文15頁が付されている 「新訳源氏物語 中巻」 1912年(明治45年)6月刊行玉鬘から夕霧までの18帖 463頁から922頁までの計460頁 「新訳源氏物語 下巻一」 1913年(大正2年)8月刊行御法から宿木までの10帖 923頁から1358頁までの計436頁 「新訳源氏物語 下巻二」 1913年(大正2年)11月刊行東屋から夢の浮橋までの5帖 1359頁から1819頁までの計461頁 「新訳源氏物語の後に」と題した晶子自身による後書きが付されている この一度目の翻訳は当時の社会に大きな反響を呼び、様々な形で繰り返し刊行された。与謝野晶子の生存中のみでも少なくとも以下のように多くの版の存在が認められる。版を改めた際に訳文の変更を行っている場合もあり、「初版本系の本文」と「縮刷本系の本文」とが存在することが認められる。その本文の変更の中には物語の始発時点での桐壺帝の年齢について、「二十ばかり」としていたのを「三十ばかり」とするなどの内容・解釈に踏み込んだ変更も見られる。金尾文淵堂は営業不振から1926年(大正15年)に本書の版権を手放すこととなり、その結果本書はさまざまな出版社から出版されることとなった。 元版4冊(上、中、下一、下二巻) 判型 菊判 装丁・挿画 中沢弘光 発行所 金尾文淵堂 発売所 勉強堂書店 発行 1912年(明治45年)2月から1913年(大正2年)11月 縮刷4冊版判型 三六変形判 クロース装 天金 藍色の箱入り 装丁 有島生馬 挿画 無し 発行所 金尾文淵堂 発行 1914年(大正3年)12月 豪華2冊版判型 菊判 装丁・挿画 中沢弘光 発行所 大鎧閣 発行 1926年(大正15年)2月 縮刷2冊版判型 四六判 装丁 奥村土牛 挿画 梶田半古 発行所 金尾文淵堂 発売所 登美屋書店(下巻のみ) 発行 1926年(大正15年)4月(上巻)、1927年(昭和2年)3月15日(下巻) 菊判2冊版判型 菊判 装丁・挿画 中沢弘光 発行所 大鎧閣 発売所 河野成光館 発行 1929年(昭和4年)3月 備考 大鎧閣版の再版 四六判1冊版判型 四六判 挿画 中沢弘光 発行所 新興社 発行 1932年(昭和7年)7月、1933年(昭和8年)5月の版もあり 四六判4冊版判型 四六判 発行所 新興社 発行 1935年(昭和10年)9月 四六判1冊異装版判型 四六判 挿画 中沢弘光 発行所 新興社 発売所 富文館 発行 1935年(昭和10年)9月、1938年(昭和13年)1月の版もあり 春洋社蔵版全1冊 発行所 新興社 販売所 春洋社 発行 1936年(昭和11年)12月 奥付に「昭和十一年十二月一日譲受印刷 昭和十一年十二月五日発行」 概ね新興社1冊版の再版であるが、同版とことなって本文と図版の紙質が同じであることなどから図版が不鮮明であり、また「紅梅」巻の前にあるべき図版が誤って「竹河」巻の途中に挟まれている。
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出版の形態
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コスモトゥーワンの出版方法には、「企画出版」「共同出版」「自費出版」の3種類の形態がある。「企画出版」「共同出版」の対象となるのは、ビジネス書、感動書、自己啓発書、夫婦関係を良くする書、実用書など。
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