冷房・高性能化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 00:43 UTC 版)
「小田急4000形電車 (初代)」の記事における「冷房・高性能化」の解説
1977年の急行10両編成化以降、4000形の5両固定編成を2編成連結した10両編成の運用も見られたが、最高速度が95km/hで、車両重量の増加を伴う冷房化改造は車軸強度上から著しく困難であった。既に小田急の通勤車両は冷房付の高性能車が主力の状況であり、4000形についても同等の水準とすることが望ましくなった。 このため、1985年から冷房化と高性能化を主とした改造が開始され、同時に他の高性能車と同様の6両固定編成・4両固定編成への組成変更が行なわれた。 冷房・高性能化にあたり、主制御装置は元来装備していたABF-128-15M形を流用したが、応荷重装置が加速時にも機能するようにしたほか、制御段数の変更が行なわれた。主電動機は、同年から廃車が開始されたHE車の使用していた主電動機である三菱電機製MB-3039-A形を流用した。駆動装置はWNドライブとなり、歯車比は5000形と同じ90:17=5.3となった。電動台車については、基礎制動装置をディスクブレーキとした軸ばね式空気ばね台車のTS-826を新製したが、ブレーキディスクはパイオニアIII形台車から流用された。付随台車についてはTS-814とTS-818を流用した。発電ブレーキは流用したモータの容量の関係上装備していない。 搭載する冷房装置は8000形と同型で冷凍能力10,500 kcal/hの三菱電機製CU-195A形を採用し、各車両の屋根上に4台設置した。屋根上のクーラーキセ(カバー)は、8000形とは異なり各装置ごとに単独のものとなっている。なお、工作の簡易化を図るために冷風ダクトの設置は行なわず、補助送風装置として扇風機を先頭車4台・中間車5台設置した。また、補助電源装置については静止形インバータ (SIV) が新製され、4両編成ではクハ4050番台・デハ4000番台の車両に90 kVAのSIVを1基ずつ、6両固定編成ではデハ4200番台・デハ4400番台の車両に120 kVAのSIVを1基ずつ搭載した。 車体については基本的にはそのまま流用しているが、製造から20年近く経過していることから各部の補強が行なわれたほか、妻面の窓は固定化された。デハ4100番台・デハ4400番台の車両の新宿方には仕切り扉が設置された。また、全車両の側面に種別・行先表示器が設置された。パンタグラフの搭載位置は全て8000形と揃えられ、デハ4200番台を除く各車両の小田原方に搭載された。乗務員室内の色彩も他形式と同様のライトグリーンに変更された。 組成変更は以下のような3パターンに大別される。巻末の編成表「4両固定編成」・「6両固定編成」も参照されたい。 5両固定編成×2編成を4両固定編成と6両固定編成各1編成に変更 3両固定編成と5両固定編成各1編成を4両固定編成×2編成に変更 3両固定編成×2編成を6両固定編成×1編成に変更 これに伴い、先頭車8両が中間車化されている。1988年度末に全車両の改造が終了したが、この改造および組成変更に伴い、92両全車両が改番された。5両固定編成は1987年7月に運用を終了し、さらに3両固定編成も1988年9月16日限りで運用終了となり、小田急の路線から営業運行を行なう吊り掛け駆動方式の電車は消滅した。ただし、同年9月22日に発生した車輌故障に関連して、8000形と併結のうえ突発的な代走営業運転が行われた旨、鉄道友の会小田急部会会報に記載があるという。これは代走とは言え、4000形の吊り掛け駆動時代最後の営業運転であり、さらには、小田急で記録に残るものとしては、最初で最後のカルダン駆動車と吊り掛け駆動車の併結運転でもあった。
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