元気です。
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『元気です。』(げんきです。)は、1972年7月21日に吉田拓郎(当時はよしだたくろう)がリリースしたオリジナル・アルバムである。吉田拓郎のアルバムとしては最高のセールスを記録している。
注釈
- ^ 当時はシングルは売れても、アルバムは3千〜5千枚売れたらいい方であった(ラヴ・ジェネレーション1966-1979 新版 日本ロック&フォークアルバム大全、音楽之友社、p282)。
出典
- ^ a b c d e f g h i j 「夏休みスペシャル 日本人の心を掴んだ人たち(Ⅲ) 1972年、若者の青春が変わった。『春だったね』から『夏休み』『旅の宿』まで 吉田拓郎「最高の名盤 『元気です。』を取り憑かれたように聞いた夏」『週刊現代』2020年8月8、15日号、講談社、172–175頁。
- ^ a b 関西フォーク70'sあたり、中村よお、幻堂出版、p68
- ^ a b c d e やっぱり吉田拓郎は凄すぎる - みのミュージック
- ^ 【1972年8月】旅の宿/よしだたくろう 幸せの絶頂期にリリースしたヒット曲
- ^ 吉田拓郎「元気です」p2 - ダイヤモンド・オンライン
- ^ アサヒ芸能、2009年7月2日号、p38-39)
- ^ Lapita 月刊吉田拓郎、小学館、p34
- ^ ニッポンのうた漂流記、河出書房新社、p134
ビジュアル版・人間昭和史⑦ 大衆のアイドル、1986年、講談社、p233
アサヒ芸能、2009年7月2日号、p36、37
guts、表現技術出版、1973年1月、p31
「伝説のメロディ 甦る!日本のフォーク フォークル、岡林信康、吉田拓郎、かぐや姫...」BS朝日、2010年4月25日
ラガー音楽酒場 / 村上“ポンタ”秀一(ドラマー) | WEBマガジン e-days - ^ 1972年8月7日、吉田拓郎の「旅の宿」がオリコン・チャート1位を獲得
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- ^ 吉田拓郎 | OTONANO powered by Sony Music Direct (Japan) Inc.
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- ^ 永堀アツオ (2024年6月1日). “80年代はシティポップだけじゃない! 音楽評論家・田家秀樹&スージー鈴木が迷わず選ぶ「殿堂入りすべきアーティスト」”. 週プレNEWS. 集英社. 2024年6月22日閲覧。
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- ^ 第155話 フォークソング - 「フォークソングと言えば《寺》です」 - ピートのふしぎなガレージ
- ^ 矢沢保 1980, p. 38.
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- ^ 吉田拓郎読本、CDジャーナルムック、音楽出版社、p44-46
- ^ 桑原聡 (2022年9月3日). “モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら (135) 拓郎よ、フォーエバー”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). オリジナルの2022年9月3日時点におけるアーカイブ。 2022年9月5日閲覧。
- 1 元気です。とは
- 2 元気です。の概要
- 3 評価
- 4 影響
- 5 収録曲
- 6 参加ミュージシャン
元気です
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 09:19 UTC 版)
「元気です」 | ||||
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吉田拓郎 の シングル | ||||
初出アルバム『アジアの片隅で』 | ||||
B面 | 証明 | |||
リリース | ||||
規格 | シングル・レコード / 7K-4 8cmCD (再発盤) | |||
ジャンル | ニューミュージック | |||
時間 | ||||
レーベル | FORLIFE | |||
作詞・作曲 | 吉田拓郎 | |||
チャート最高順位 | ||||
吉田拓郎 シングル 年表 | ||||
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「元気です」(げんきです)は、吉田拓郎が1980年11月5日にリリースした20枚目のシングル。発売元はフォーライフ・レコード(現・フォーライフミュージックエンタテイメント)。
概要
宮崎美子が主演したTBS系ポーラテレビ小説『元気です!』の主題歌[2][3]。
歌詞は4番まであり、それぞれ「春」「夏」「秋」「冬」のストーリーで構成されている[3][5][6]。広島カープ元監督・達川光男も思い出の一曲として挙げている[6]。
カップリング曲の「証明」は、1980年7月27日に行った日本武道館公演のライブ音源を収録されたもの。長い間アルバム未収録だったが、2011年に発売されたベスト・アルバム『ONLY YOU 〜since coming For Life〜 + Single Collection』にはじめて収録された。
収録曲
- 全作詞・作曲:吉田拓郎
Side:A
Side:B
- 証明(3分48秒)
収録ディスク
アルバム
- 元気です
- 『アジアの片隅で』(1980年)
- 『ONLY YOU 〜since coming For Life〜』(1981年)
- 『吉田拓郎ベスト60』(1985年)
- 『LIFE』(1995年)
- 『吉田拓郎 THE BEST PENNY LANE』(1999年)
- 『ONLY YOU 〜since coming For Life〜 + Single Collection』(2011年)
- 『From T』(2018年)
- 証明
- 『ONLY YOU 〜since coming For Life〜 + Single Collection』(2011年)
カバー
- 証明
脚注
- ^ 『オリコン・シングル・チャートブック(完全版):1968 - 2010』オリコン・エンタテインメント、2012年2月、367頁。ISBN 978-4-87131-088-8。
- ^ “元気です!”. テレビドラマデータベース. 2018年6月23日閲覧。
- ^ a b “吉田拓郎の歌詞が好き”. ザ・カセットテープ・ミュージック. BS12 トゥエルビ (2018年10月7日). 2019年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月27日閲覧。
- ^ 吉田拓郎プロフィール | FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT,INC.
- ^ 吉川毅 (2019年5月9日). “「大弦小弦」『はい、元気です』。小学生の頃、朝礼の出欠確認で…”. 沖縄タイムス+プラス. 沖縄タイムス社. 2019年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月27日閲覧。
- ^ a b “吉田拓郎の引退に元広島カープ・達川光男氏「彼こそが広島の誇り」”. NEWSポストセブン. 小学館 (2022年7月21日). 2022年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月26日閲覧。
元気です!
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 14:55 UTC 版)
元気です! | |
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ジャンル | テレビドラマ |
脚本 | 畑嶺明 |
演出 | 近藤邦勝 田沢正稔 東条毅 八木康夫 |
出演者 | 宮崎美子 石田純一 伴淳三郎 伊藤敏八 |
音楽 | すぎやまこういち |
オープニング | 吉田拓郎『元気です』 |
時代設定 | 1874年 - |
製作 | |
プロデューサー | 山泉脩 |
制作 | TBS |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1980年10月6日 - 1981年4月3日 |
放送時間 | 月曜 - 金曜12:40 - 13:00 |
放送枠 | ポーラテレビ小説 |
回数 | 130回 |
『元気です!』(げんきです)は、1980年10月6日から1981年4月3日まで、TBSの『ポーラテレビ小説』枠にて放送されたテレビドラマ[1]。
あらすじ
明治7年、廃藩置県や征韓論を背景に土佐の不平士族が岩倉具視を襲撃した。暗殺に失敗した一味は逃走し負傷者を医者の家に運んだ。精庵医師に手当を強要し夫婦共々、殺害する。この家の息子、信吾は反撃し一味の一人を射殺した。信吾と妹あやは逃亡を決意する。この家の使用人で聾唖の海之助の故郷、土佐に向かう一行。土佐に着くや信吾は官憲に捕らえられる。失意のあやであったが漁師の中森茂造はあやを励ますのだった。
茂造には良作という息子がいて、たまに村に戻ってくるが彼には秘密がありそうだった。茂造の鰹節作りを手伝うあや、良作はそんなあやを愛するようになり、二人はやがて結ばれる。良作は仕事に精を出すが彼は政治運動に加担しているらしかった。茂造は病に倒れ帰らぬ人になる。
平穏な暮らしもつかの間、警察の追及は良作のもとに伸びてくる。あやたちは山奥の紙漉きの小屋に逃れる。仕事のかたわら子供たちに読み書きを教え始める。だが良作は東京から追ってきた刑事に見つかってしまい山中に逃れるが絶命する。一人になったあやは尼寺の蓮照を頼り色々と相談するが、その人こそあやの実の母親だった。
出演
- 井沢あや - 宮崎美子
- 井沢信吾 - 石田純一
- 井沢精庵 - 仲谷昇
- 井沢杉 - 柳川慶子
- 大村海之助 - 伊藤敏八
- 中森茂造 - 伴淳三郎
- 中森良作 - 小倉一郎
- 中森千恵 - 吉田忍
- 中森源太 - 三輪禎夫
- 中森苗 - 柿崎澄子
- 長浜十郎 - 山谷初男
- 長浜ハナ - 五十嵐めぐみ
- 長浜梅 - 星清子
- 長浜嘉平 - 塩屋智章
- 島田寅次郎 - 小野武彦
- キク - 原知佐子
- 水上蓮照 - 河内桃子
- 伊野山仙 - 今井和子
- 伊野山勘三 - 垂水悟郎
- 伊野山くみ - 原日出子
- とめ - 菅井きん
- 寺本善治 - 草野大悟
- いくの - 亀井光代
- 弥一 - 熊谷誠二
- 精造 - 青柳武志
- 大河内長吉 - 織本順吉
スタッフ
その他
- 宮崎美子は1980年1月、熊本大学在学中に「週刊朝日」の表紙(篠山紀信撮影)に登場。次に篠山からCM出演依頼があり春休み期間中にサイパンで撮影を行った。それがミノルタのCMであり大反響となった。プロのモデルとは違った素朴な雰囲気やぽっちゃり体形が新鮮なインパクトを与えた。斉藤哲夫のCM曲は宮崎のジャケ写を使い、ミノルタの「X-7」はベストセラーとなった。新人女優を起用するのが恒例となっていたポーラテレビ小説は宮崎に注目、彼女を口説き落とすためディレクターが熊本に何度も足を運んだ[注 1]。一連の交渉はミノルタに話を通さず行われたため、あとになってミノルタからクレームがついたという。宮崎のドラマデビューは大きな注目を集めマスコミ取材200社、スポーツ紙にも取り上げられるなど異例づくめであった。ドラマと連動する形で写真集(富士見書房)が発売された。
- 音楽はすぎやまこういちが担当。NHK交響楽団から徳永二男、堀正文を迎えクラシカルな弦楽曲で統一した。ドラマ音楽としては異例なレコード発売となった。主題歌は吉田拓郎がドラマのために新曲を書き下ろした。
- 主演を宮﨑と争う形となったものの結果として敗れ、宮崎のライバル的な役柄で出演した原日出子は、翌1981年に連続テレビ小説「本日も晴天なり」の主演に抜擢されブレイクする。
参照文献
- 「週刊TVガイド」(1980年、東京ニュース通信社)
- 「テレビジョンドラマ」(1983年創刊号、放送映画出版)
脚注
注釈
- ^ 「テレビジョンドラマ」1983年、村上瑛二郎インタビューより。
出典
- ^ “元気です!”. テレビドラマデータベース. 2022年2月27日閲覧。
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