侍真の生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 09:29 UTC 版)
侍真は3時半に起床。4時から一時間にわたって朝勤行を行う。5時と10時に真影に食事を供え、茶と菓子を献じて30分間の勤行をしたのちに、そのお下がりをいただく。朝食後は阿弥陀堂にて三部経を読誦し阿弥陀如来供養と国家平安および皇室安泰の祈祷を、昼食後は境内や道場内の掃除を行う。16時から一時間にわたって夕勤行を行い、17時の閉門後は経を学び写経するなど自らの修行に打ち込む。21時に就寝する。侍真は一日二食限りで、夕食を摂ることはない。 最澄を「四六時中坐禅瞑想に入られている生身のお大師さま」と捉え、侍真は開扉後、最澄が拝殿に移れるように障子を一寸開けたままの状態にして、勤行、供食など一連の動作のそれぞれ5分前に、毎日43回の鐘を打ち鳴らして知らしめる。 浄土院の開門、閉門、食事の準備は助番(本山交衆制度の課程のひとつで、侍真を補佐する僧侶)または寺務員が行う。助番は、自身の吐く息がかからないように手製のマスクをつけて、高足膳に食事を乗せて拝殿まで持参し、同様にマスクをつけた侍真が受け取った後、真影に供える。勤行が終わったら、侍真は再びマスクをして膳を下げ、飯を釜に戻してかきまぜた後、そのお下がりを助番や寺務員とともにいただく。 食事に用いる水や飲料水は、最澄に供するべく、浄土院だけに引いている湧き水を用いる。 午後の掃除では、侍真は廟所境内の白砂に落ちた枝葉を竹ぼうきで掃いてゆく。廟所の周囲には沙羅双樹や菩提樹の巨木が根を張り、地面に落ちたそれらの枝葉を集めては、その手で白砂をより分けて大きな袋に入れる。毎日およそ2時間、ひたすらこれを繰り返すこととなる。 十二年籠山行における一日の流れは、一年を通じて何ら変わらない。侍真に休日はなく、交代もおらず、浄土院は比叡山中で最も湿気の多いところにあり、侍真は一日二食の完全なる精進料理のみであるため栄養状態は悪く、侍真を務めた行者の平均寿命は56歳ないし57歳とされる。たとえ病気になったとしても医師に診てもらうことも不可能であり、そのため自ら徹底した体調管理を心掛ける必要がある。 年数が経過するにしたがって、体力がどんどん落ちていきます。早い人では三年、遅くても六年くらい経つうちには食生活でエネルギー不足になります。そうすると、冬の朝など起きたときにすでに体が冷え切った状態になっています。何しろ前の日の昼食を食べてから十八時間何も口にしていないので、体温が上がりようがないのです。自分で触っても、冷たい! と思うほど体は冷え切っています。その中でお腹を壊すこともあります。体調面では、とにかく体温が上がらないことが一番の心配事です。これは夏場も同じです。朝六時半からの阿弥陀堂でのお勤めが終わって十時近くに出てくる頃には体が冷たくて仕方ありません。そこで部屋に帰るとすぐに石油ファンヒーターをつけて体を温めます。真夏であれば普段でも三十度くらいありますが、それでも寒くて仕方ないのでヒーターをつけるのです。ところが、ヒーターのもともとの設定が三十数度であるため、すぐに止まってしまいます。とにかく寒くて寒くて、下手をしたらガタガタ震えるくらい体が冷たくなっています。 (中略)自分の体が病気にならないようにコントロールしていくのも、籠山行における一つの闘いです。私は夏でも冷たいものはほとんど飲まず、熱いものしか飲みませんでしたし、料理も生姜を多くするとか、いろいろ体を温める工夫をしていきました。 助番は、侍真の朝食後の読誦や祈祷中も掃除を行う。廟所境内の掃除は、前述のとおり昼食後に侍真自らが行うため、助番は1kmにわたる参道や灯明皿の掃除を担う。廟所の清浄を保つために半日にわたって焚き続ける抹香を、灰の上で型に入れて押し固める作業も行う傍ら、それぞれの食事の支度を行い、朝夕の勤行における坐禅にも加わる。
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