か‐おうきん【何応欽】
読み方:かおうきん
[1890〜1987]中国の軍人・政治家。貴州省興義県の人。日本の陸軍士官学校卒。蒋介石の腹心として国民革命軍の要職を歴任。1935年日本との間に梅津‐何応欽協定を締結。1949年、行政院長に就任。台湾に渡って引退。ホー=インチン。
ホー‐インチン【何応欽】
読み方:ほーいんちん
⇒かおうきん(何応欽)
何応欽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 09:59 UTC 版)
何 応欽(か おうきん、1890年〈光緒16年閏2月13日〉4月2日 - 1987年〈民国76年〉10月21日)は、中華民国の軍人。字は敬之。貴州省興義府興義県泥凼鎮の出身。本貫は江西省撫州府臨川県。
- ^ a b c 李(1996)、206頁。
- ^ 参考文献『日本陸海軍総合事典』第2版、682-683頁。
- ^ 孫文(孫中山)を支持する貴州省内の一派閥。黔軍内の若手軍人(新軍軍人)たちを主力とした。これに対抗したのが、北京政府を支持した旧軍・政治家の「旧派」で、貴州督軍の劉顕世を指導者としていた。
- ^ 結果的に何は、この事件のおかげで顧品珍が唐継尭に殲滅される戦争には巻き込まれずに済んだ
- ^ 李(1996)、206-207頁。
- ^ 李(1996)、207-208頁。
- ^ 李(1996)、208-209頁。
- ^ 王天培は実際には勇戦しており、世論はむしろ蔣介石の責任転嫁であると糾弾している。詳細は王天培記事参照。
- ^ 李(1996)、209-210頁。
- ^ 李(1996)、210-211頁。
- ^ 李(1996)、211-212頁。
- ^ 李(1996)、213-214頁。
- ^ 李(1996)、214-216頁。
- ^ 李(1996)、216-217頁。
- ^ 李(1996)、217-218頁。
- ^ 李(1996)、218頁。
何応欽(か おうきん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 06:56 UTC 版)
※この「何応欽(か おうきん)」の解説は、「蒼天の拳」の解説の一部です。
「何応欽(か おうきん)」を含む「蒼天の拳」の記事については、「蒼天の拳」の概要を参照ください。
何應欽と同じ種類の言葉
- 何應欽のページへのリンク