二頭政治から観応の擾乱へとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 二頭政治から観応の擾乱への意味・解説 

二頭政治から観応の擾乱へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 01:37 UTC 版)

足利直義」の記事における「二頭政治から観応の擾乱へ」の解説

尊氏光明天皇擁立し明法家法学者)の是円中原章賢)・真恵兄弟らへの諮問のもと『建武式目』を制定し幕府成立させるが、この式目制定には直義意向が強いとされる延元3年/暦応元年1338年)に尊氏征夷大将軍に、直義左兵衛督任じられ政務担当者として尊氏二頭政治行い「両将軍」と併称された。 興国2年/暦応4年1341年3月24日には、出雲隠岐両国守護の有力武塩冶高貞謀反人責め桃井直常山名時氏主将とする追討軍を派兵し数日のうちに自害追い込んだ(『師守記暦応4年3月25日条および29日条)。鈴木登美恵亀田俊和らの主張によれば、高貞謀反事実可能性十分にあり、皇族早田宮出身という説もある妻を介して義弟義兄?)に当たる南朝公卿九州方面軍指揮する源宗治らと内通していたのではないかという。 しかし、正平3年/貞和4年1348年)頃から足利家執事務め高師直対立するようになり、幕府直義派と反直義派に二分する観応の擾乱発展し、さらに吉野逃れていた南朝混乱乗じて勢力強める。直義派からの讒言受けて尊氏師直執事職を解任すると、正平4年/貞和5年1349年)に師直とその兄弟の師泰は直義襲撃し直義逃げ込んだ尊氏邸をも大軍包囲した。高兄弟直義罷免求め直義出家して政務から退く事を条件和睦する直義出家し三条坊門殿邸宅鎌倉から上洛してきた足利義詮譲って恵源(えげん)と号した。 翌 正平5年/観応元年1350年)、尊氏師直らが直義養子直冬を討つために中国地方遠征すると、その留守乗じて京都脱出師直討伐掲げて南朝へ降る。しかし直義は、南朝降ったのちも発給文書には北朝用いられ観応年号使用しており、降伏便宜的なものであった解釈されている。 一方京都北朝直義追討令を出すに至る。南朝属した直義尊氏勢を圧倒し正平6年/観応2年1351年)に播磨国光明寺城光明寺合戦)や摂津国打出浜兵庫県芦屋市)で尊氏方を破る(打出浜の戦い)。尊氏方の高師直・師泰兄弟とその一族2月26日直義の上能憲に殺害された。 師直兄弟闇討ち排除した後は、尊氏嫡子義詮補佐として政務復帰したが、尊氏義詮父子との仲は良くならず、ついに尊氏父子出陣称して京都から出ていきそれぞれ近江播磨で反直義勢の態勢整え始めた。それを見た直義8月1日京都脱して北陸信濃を経、鎌倉拠点に反尊氏勢力糾合した。これに対して尊氏父子南朝降り正平一統成立して新たに南朝から直義追討令を出してもらう。 しかし、駿河国薩埵山(静岡県静岡市清水区)、相模国早川尻(神奈川県小田原市)などの戦いで尊氏連破され、正平7年1352年1月5日鎌倉にて武装解除される。浄妙寺境内延福寺幽閉され直義は、同年2月26日急死した『太平記』巻第三十では「俄に黄疸と云ふ病に犯されはかなく成らせ給ひけりと、外には披露ありけれ共、実には鴆毒故に逝去し給ひけるとぞささやきける」と、毒殺の噂が流れたことを記述している。研究者中には毒殺説支持するものも多いが、峰岸純夫亀田俊和自然死であると見ている。直義没した日は奇しくも自身宿敵であった高師直・師泰兄弟一周忌に当たり、早世した実子如意丸(如意王)の一周忌翌日でもあった。享年47観応の擾乱直義死により終わりを告げた。ただし、直義派の武士による抵抗は、その後直冬盟主として1364年頃まで続くことになった。 なお、尊氏はその死の直前正平13年/延文3年1358年)に、直義従二位叙するよう後光厳天皇願い出ている。その後年月日不詳であるが更に正二位追贈された。正平17年/康安2年1362年7月22日には「大倉宮」の神号贈られ、「大倉二位明神」として直義邸宅であった三条坊門殿跡地三条坊門八幡宮(現・御所八幡宮社)を創建し祀った他、直義失脚後滞在していた綾小路邸にも祀った。さらに天龍寺付近に直義祀る仁祠(寺)が建てられている。

※この「二頭政治から観応の擾乱へ」の解説は、「足利直義」の解説の一部です。
「二頭政治から観応の擾乱へ」を含む「足利直義」の記事については、「足利直義」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「二頭政治から観応の擾乱へ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「二頭政治から観応の擾乱へ」の関連用語

1
10% |||||

二頭政治から観応の擾乱へのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



二頭政治から観応の擾乱へのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの足利直義 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS