御所八幡宮とは? わかりやすく解説

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御所八幡宮

読み方:ゴショハチマングウ(goshohachimanguu)

別名 お池八幡

教団 神社本庁

所在 京都府京都市中京区

祭神 応神天皇 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

御所八幡宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/07 02:03 UTC 版)

御所八幡宮
所在地 京都府京都市中京区御池通高倉東入亀甲屋町594-1
位置 北緯35度0分37.8秒 東経135度45分45.4秒 / 北緯35.010500度 東経135.762611度 / 35.010500; 135.762611 (御所八幡宮)座標: 北緯35度0分37.8秒 東経135度45分45.4秒 / 北緯35.010500度 東経135.762611度 / 35.010500; 135.762611 (御所八幡宮)
主祭神 応神天皇神功皇后比売神
社格村社
例祭 9月
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御所八幡宮(ごしょはちまんぐう)は、京都市中京区にある神社旧社格村社足利尊氏が勧請したとされ、尊氏の戒名から等持院八幡宮と呼ばれる他、高倉八幡宮、御池の八幡さん、虫(むし)八幡とも呼ばれる。

歴史

そもそもは、この地にあった三条坊門万里小路邸に住していた中院家が祀っていた石清水八幡宮から勧請した若宮社がもとであるという。弘安元年(1278年)10月に二条内裏が焼失すると後宇多天皇中院通成邸を仮の御所として行幸された。その際、邸にあった社は邸が御所になったことから御所八幡宮と呼ばれるようになったという。

この後、南北朝時代になり、室町幕府の初代将軍足利尊氏が、自らの邸内の守護神として八幡神を勧請し、御所八幡宮を再興したとされる。あるいは貞治6年(1367年)に大御所・足利尊氏が、自らの弟である足利直義の屋敷・三条坊門殿の跡地に八幡神を勧請して再興したともいう。

明治時代になると村社に列せられている。

もともとは、御池堺町の西南角の御所八幡町にあったが、太平洋戦争中の1945年昭和20年)3月から始まった御池通の強制疎開によって南西側の現在地に移転した。

安産と幼児の守り神として有名で、左京区上高野の三宅八幡宮とならんで 「虫(むし)八幡」 と呼ばれる。「虫」は文字通りの「虫退治」という意味もあるが、子供の「かんの虫封じ」の信仰からきている。

祭神

境内

  • 本殿
  • 神門
  • 社務所
  • 初音稲荷社
  • 三社合殿 - 金毘羅社、大宮比賣社、猿田彦社
  • 天満宮

祭事

  • 例祭・9月15日に一番近い日曜日

交通アクセス

参考文献

  • 御所八幡宮由緒

外部リンク



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