御所千度参りとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 御所千度参りの意味・解説 

御所千度参り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/24 00:54 UTC 版)

御所千度参り(ごしょせんどまいり)は、天明7年6月7日1787年7月21日)に発生した、京都御所の周囲を多数の人々が廻り、千度参りをした事件。

この御所千度参りは、天明7年6月7日頃から始まった。初めは数人だったが、その数は段々増えて行き、6月10日には3万人に達し、6月18日頃には7万人に達したという。御所千度参りに集まった人々は、京都やその周辺のみならず、河内近江大坂などから来た者もいたという。

京都は人であふれ、後桜町上皇からは3万個のリンゴ(日本で古くから栽培されている、和りんご)が配られた[1]。他にも、有栖川宮一条家などではが、九条家鷹司家からは握り飯が配られた。

光格天皇がこの事態を憂慮し、京都所司代を通じて、江戸幕府飢饉に苦しむ民衆救済を要求する[2]。これは、禁中並公家諸法度に対する明白な違反行為であった[2]。そのため、天皇の叔父でもある関白鷹司輔平も厳罰を覚悟して、同様の申し入れを行った。これに対して、幕府は米1,500俵を京都市民へ放出することを決定[3]、法度違反に関しては事態の深刻さから、天皇や関白が行動を起こしたのももっともな事であるとして不問とした[4]

この背景には、天明の大飢饉や、同年4月に徳川家斉将軍に就任した事から徳政を求める意味もあったと思われる[独自研究?]。また、朝廷の行動が実際の救済行動に結びついたことで、尊王論の興隆の一因となった。

脚注

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「御所千度参り」の関連用語

御所千度参りのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



御所千度参りのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの御所千度参り (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS