大坂や各都市での収拾策とは? わかりやすく解説

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大坂や各都市での収拾策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 15:30 UTC 版)

天明の打ちこわし」の記事における「大坂や各都市での収拾策」の解説

全国席巻した打ちこわし基点となった大坂では、打ちこわし大坂全域広まった天明7年5月12日1787年6月27日夜に大坂町奉行所から困窮に対して施行実施するよう町触出され町触受けて天明7年5月13日1787年6月28日)から大坂各所困窮者に対する米の安価での販売など、施行開始された。施行にかかる費用は主に大商人両替店などが負担した。また大坂では大坂外への米の搬出原則禁止とし、止むを得ない場合には申し出るように指示する他所売積差略令を天明7年5月25日1787年7月10日)に公布した同様の命令兵庫でも天明7年5月28日1787年7月13日)に出されており、これは米の搬出差し止めることによって大坂兵庫での米の絶対量確保図ったものであったが、大坂からの米の供給頼っていた畿内各地にとって、他所売積差略令は死活問題であった。特に大坂近くしかも米の多く大坂市場依存していた京都危機感強く京都伏見への米の搬出他所売積差略令の例外とするように再三申し入れがなされ、まず京都伏見への米の搬出天明7年6月7日1787年7月21日)に少々であれば認めることとなった。しかし後述御所千度参り発生高揚、それに伴う朝廷から幕府対す困窮救援申し入れ更には京都以外の畿内各所での米の流通不足による危機感高まりによって、天明7年7月25日1787年9月6日)、大坂から各地への米麦以外の雑穀搬出自由化し、天明7年8月19日1787年9月30日)には米麦搬出自由化された。替わって天明7年7月27日1787年9月8日)、幕府大坂城代に対して酒造三分の一制限する命令出し、米を消費する酒造制限することで米の絶対量確保する方策を採ることとなった。 また大坂では天明7年7月6日1787年8月18日)に、老中から貧困者を対象とした支給認める旨の指示出され実際天明7年8月17日天明7年8月17日)に大坂町奉行所極度貧困状態追い込まれている29564人に対し総計500石の米の支給行ったこのような対策駿府などでも老中指示実施移されていた。これは全国同時多発的に発生した打ちこわし受けて幕府としても遅ればせながら困窮追い込まれ庶民対す具体的な救援乗り出したことを示している。

※この「大坂や各都市での収拾策」の解説は、「天明の打ちこわし」の解説の一部です。
「大坂や各都市での収拾策」を含む「天明の打ちこわし」の記事については、「天明の打ちこわし」の概要を参照ください。

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