米の搬出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/04 04:48 UTC 版)
戸出御蔵が建てられた当初は、御蔵のすぐ東側を川が流れていた千保川を使って川下へ運搬していた。 1714年(正徳4年)に庄川の本流が現在の流れである中田側に移り千保川の水量が低下した後、米は馬で祖父川沿いの本保波止場(高岡市本保)まで運ばれそこから船積みして川下へ運ばれた。 その後は、より御蔵に近い千保川の波止場(現在の高岡市戸出町1丁目)から船積みされるようになった。搬出米は川下の吉久御蔵や伏木御蔵へ一旦集積された後、北前船で大阪方面へと運ばれた。
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