モハ114形800番台
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「国鉄115系電車」の記事における「モハ114形800番台」の解説
上:モハ114-827中:車端低屋根部下:モハ114-831 狭小断面トンネルが存在する中央本線高尾以西では、レール面からのパンタグラフ折畳高さが4,000 mmの制約が設けられていた。モハ114形の4,140 mmでは入線が不可能でPS16形パンタグラフの取付部分のみ屋根高さを180 mm下げパンタグラフ折畳高さ3,960 mmとした「低屋根車」として対応させることになり、801-に番台区分され汽車製造・日本車輌・川崎車輌で31両が製造された。 低屋根部の室内天井には扇風機の代わりに換気扇(ファンデリア)を、低屋根肩部に外気取入用の風道を設置する。他の仕様は同時期に製造された基本番台と同一だが車重が基本番台車に比較すると0.3 t軽い36.4 tとなったほか、本区分とMM'ユニットを組成するクモハ115形・モハ115形は基本番台の続番で製造された。 後に折畳高さの低いPS23形パンタグラフが開発されたため、300番台以降では、身延線用2600番台を除き低屋根構造は廃止された。 801-817は三鷹電車区新製配置車で1966年製造。クモハ115形とMM'ユニットを組成して中央東線・篠ノ井線で運用された。801・802は1985年に新前橋区に転出。分割民営化時には805 - 817とともにJR東日本に承継。802は1989年に豊田区に、801は1990年に北長野運転所(現・長野総合車両センター)に再転出となるが、1991年にはともに訓練車モヤ114-1・2へ改造された。1995年に2が、2000年に1が廃車され形式消滅した。 803・804は1985年に沼津機関区(現・沼津運輸区)へ転出。1986年に静岡運転所(現・静岡車両区)へ再転出となり分割民営化時にはJR東海に承継。803は1989年に、804は1991年に廃車となった。 805 - 817は1986年11月に豊田電車区(現・豊田車両センター)に転出。1990年に805が廃車となったが残りの11両は2000年12月に松本電車区(現・松本車両センター)へ再転出。2001年以降は東北本線(宇都宮線)・高崎線へのE231系投入により捻出された300番台・1000番台の松本区転入により伊豆急行へ譲渡された808・810・812・815・817を除き廃車された。 818-831は小山電車区新製配置車で、1967年 - 1968年に製造。広域運用が想定される波動輸送対応名義から低屋根のほか横軽対策も併施された。三鷹配置車と異なる点は東北本線・高崎線系統の運用実態に合わせモハ115形とMM'ユニットを組成する。 818 - 821・824 - 826・828 - 830は1979年に御殿場線72系電車老朽取換用ならびに後の身延線運用も考慮した上で沼津機関区へ転出。分割民営化時にはJR東海へ承継。このうち821・824・825は1990年 - 1991年に工程簡素化のため低屋根部分には冷房風道を設置せずファンデリアを残存させた上でC-AU711D形集約分散式冷房装置搭載改造工事を施工され5821・5824・5825に改番した。非冷房車を含め1999年までに全車廃車となった。 831は耐雪性能向上の観点からステンレス製客用扉や手掛け形状などの設計変更が実施された唯一の1968年製造車である。上述したグループとともに1979年に沼津に転出されたが、1986年に岡山電車区へ再転出となりJR西日本へ承継。冷房化改造は未施工のまま1996年に廃車。 小山区に残存した822・823・827は全車国鉄時代に冷房改造を施工されJR東日本に承継。822・823は2002年に廃車。豊田車両センター訓練車編成に組成されていた827も2014年1月28日に廃車となり、区分消滅した。
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