ヘーゲル学派の成立と分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 02:29 UTC 版)
「ドイツ現代思想」の記事における「ヘーゲル学派の成立と分裂」の解説
ヘーゲルの哲学が批判し、超克を目指したのはカントの哲学である。カントは、デカルト的な主観・客観の二項対立を前提に、厳密に現象と物自体を区別し、大陸合理論とイギリス経験論を統合したのであるが、ヘーゲルは、『精神現象学』(1807年)において、直接的な意識から始まり、即自から対自、存在から絶対的知識へ発展し、現象の背後にある物自体を認識し、主観と客観が統合された絶対的精神になるまでの過程を明らかにした。彼によれば、「精神」は単なる人間の主観ではなく、世界史の過程を通して絶対的精神へと自己展開してゆくことになる。人類の歴史は、絶対精神が弁証法的に発展し、奴隷的な状態を脱し、自由を獲得する過程でもあり、理性が自然を克服し、原始的な宗教から啓示宗教が支配する社会を経て自由な国家が成立することによって歴史は終わるとした。ヘーゲルは、根源的一者の自己展開というドイツ中世のネオプラトニズム的な神秘主義を下敷きに、弁証法という論理学、認識論という当時の近代的な哲学概念を用いて、近代的で理性的な主体である個人を前提に、民族を統合した自由な国家の成立の必然性を説くという進歩的主義な歴史哲学を主張したのである。それは隣国フランスの発展に憧憬を抱きつつも、諸々の領邦に分かれ統一を果たせないでいた当時のドイツ圏の政治事情を背景に支えられたドイツ特有の特徴をもった理論ともいえる。ヘーゲルの哲学体系は、第一哲学たる形而上学を頂点としてすべての学問の統一を目指す百科事典的な壮大なものであり、そこでは、真のみならず、善・美といった価値さえ理性によって担保されるものとなったのである。 このような壮大な体系をもつヘーゲル哲学の影響は必然的にすべての学問分野に影響を与え、以後ドイツの学者・思想家はヘーゲル哲学に対するなんらかの賛否を明らかにする必要に迫られたのである。ヘーゲルに賛成するものはヘーゲル学派を形成したが、ダーフィト・シュトラウスの『イエスの生涯』(1835年)の出版をきっかけに、老ヘーゲル派、ヘーゲル中央派、青年ヘーゲル派に分裂していった。そのような流れの中から、19世紀の科学の発展を背景に、マルクス主義が台頭する。 ヘーゲルと同時代に生き、ドイツ現代思想の源となった先駆的な批判者は、カント理論の承継者を自認したショーペンハウアーと解釈学の祖シュライアマハーである。ヘーゲルはカントの物自体という概念を批判し、これを弁証法によって現象と統合したのであるが、ショーペンハウアーはこの区別を厳格に維持し、物自体は盲目的な意志であるとした。彼の理論は生の哲学に決定的な影響を与えるとともに、広くいえば新カント派によるカント理論の復権の先駆けとなるものである。シュライアマハーの解釈学は、後にディルタイにおいて生の哲学と合流し、ハイデッガーにおいて現象学と合流し、ガダマーによって哲学の一般理論に押し上げられてドイツの哲学的伝統の潮流の一つとなった。
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