ナイナーズのエースQB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:29 UTC 版)
「スティーブ・ヤング」の記事における「ナイナーズのエースQB」の解説
1991年1月20日のプレーオフでモンタナがレナード・マーシャルのヒットを受けて負傷し、1991年シーズンが絶望となったことでヤングに転機が訪れた。1991年にはモンタナに代わってエースQBとなった。シーズン序盤チームは苦しみ4勝4敗となったが次の試合でヤングはジョン・テーラーへの97ヤードのタッチダウンパスを決めた後にひざを負傷し、スティーブ・ボノと交代した。この試合は落としたもののボノが先発した試合で5連勝を果たしたためヤングが怪我から復帰してもジョージ・シーファートヘッドコーチはボノを先発で起用した。ボノも負傷したためシーズン最後の2試合でヤングが先発に復帰した。キャンドルスティックパークで行われた最終節のシカゴ・ベアーズとのマンデーナイトフットボールでは338ヤードを投げて3つのタッチダウンパスを成功、ランでも63ヤードを獲得して52-14で勝利した。 ヤングは5試合に欠場したものの2517ヤードを投げて17タッチダウンパス、インターセプトわずか8回でQBレイティングが101.8でNFLトップとなったがチームは前年の14勝2敗から10勝6敗に終わった。当時10勝したチームはプレーオフ出場権を得ることが多かったがこの年ナイナーズは1983年から連続出場を果たしていたプレーオフを逃した。モンタナの右ひじ故障からの復帰を望む声は高まりある識者はヤングはトレードに出されてモンタナ、ボノの先発QB争いになるだろうと予測した。 1992年のシーズンはボノ、モンタナと正QBを争うことになり、ヤングはロサンゼルス・レイダースに放出される可能性もあったが、モンタナの復帰が開幕戦に間に合わないことが判明しエースQBとなった。しかし開幕戦で脳震盪を起こし退場すると控えQBのボノが2本のタッチダウンパスを決めて31-14でチームは勝利した。翌週のバッファロー・ビルズ戦でヤングは自己ベストの449ヤードを投げて3本のタッチダウンパスを成功させたが試合は31-34で敗れた。その後彼は先発出場した試合で5連勝し、風邪で欠場したフェニックス・カージナルス戦にチームは敗れたものの翌週からヤングは残り試合全てで勝利を収めてチームは14勝2敗でシーズンを終えた。彼はパスで3456ヤードを投げ、ランでも537ヤードを獲得した。このシーズンNFLトップの25タッチダウンパスを投げてQBレイティングは107.0となり最優秀選手賞を受賞した。多くの専門家はヤングの転機はナイナーズのオフェンスコーディネーター、マイク・シャナハンとの出会いだろうと見ている。この年ディビジョナルプレーオフでは227ヤードを投げて2タッチダウンパス、ランでも73ヤードを獲得し20-13で勝利したがダラス・カウボーイズとのNFCチャンピオンシップゲームを20-30で敗れた。この年彼はプロボウルにも初めて選出された。 1993年シーズン開幕前にチームはモンタナを構想外としてカンザスシティ・チーフスに放出した。晴れて先発QBの座を確保した彼は左手親指が腫れた状態でプレーをしていたこともあり、最初の4試合で前のシーズンより多い8インターセプトを喫した。その後親指の腫れが治まってからの7試合では16タッチダウンに対してインターセプトわずか2回で平均レーティングは122.2と驚異的な数字をあげた。この年彼はチーム記録となる4023ヤードを投げてリーグトップの29タッチダウンパス、QBレーティングは101.5の数字を収め、パス試投189回インターセプト0の記録も作った。チームは10勝6敗でディビジョナルプレーオフではニューヨーク・ジャイアンツを44-3と圧倒したがダラス・カウボーウズに21-38で敗れた。 1994年にはチームはフリーエージェントでディオン・サンダースらを補強した。開幕戦のロサンゼルス・レイダース戦で4タッチダウンパスを成功させて44-14で圧勝、第2週のモンタナとの対決になったチーフスには敗れたがその後連勝し続くキャンドルスティックパークでのフィラデルフィア・イーグルス戦では8-40で敗れた。この試合シーファートヘッドコーチは大差のついた試合に対してヤングをベンチに下げたがそのことに対してヤングはヘッドコーチと激しく口論した。その後チームは10連勝し、最終戦すでにホームフィールドアドバンテージも決まり勝敗が重要でなくなっていたミネソタ・バイキングス戦で先発出場し13本中12本のパスを成功させた後サイドラインに下がった。この試合チームは敗れて13勝3敗でシーズンを終えた。ヤングは4試合で4タッチダウンパスを投げる活躍を見せて35タッチダウンパス、インターセプトもわずか10で3969ヤードを投げてQBレーティングはNFL史上最高の112.8をあげて(前の記録保持者はモンタナ)2回目のMVPに選ばれた。プレーオフではシカゴ・ベアーズを44-15で一蹴した後、NFCチャンピオンシップゲームではカウボーイズに38-28(ハーフタイムでは31-14)と雪辱を果たした。この試合彼は2タッチダウンパスを成功させると共に47ヤードのタッチダウンランを決めている。 第29回スーパーボウルで彼は325ヤードを投げると共に、モンタナの持っていた5本のタッチダウンパス成功のスーパーボウル記録を塗り替える6本のタッチダウンパスを決めて、サンディエゴ・チャージャーズに49-26で圧勝した。ランで49ヤードを記録し、MVPに選ばれた。 スーパーボウル優勝後、彼は1996年と1997年にQBレイティング1位となったが、チームは1995年から1997年まで3年連続でブレット・ファーヴのグリーンベイ・パッカーズにプレーオフで敗れた。そのうち2回は地元でのゲームであった。1995年から1997年までの3年間彼は数試合に欠場している。 1998年に37歳になっても彼のプレーは周囲からは衰えたように見えず驚きの目で見られていた。この年4170ヤードを獲得、NFLトップの36タッチダウンパスを記録した。これはナイナーズのチーム記録となっている。この年のワイルドカードプレーオフでは試合時間残り3秒でテレル・オーウェンスに決めて30-27で勝利した。このプレーは1981年NFCチャンピオンシップゲームでのダラス・カウボーイズ戦でのドワイト・クラークのザ・キャッチにちなんでザ・キャッチIIと呼ばれた。翌週のアトランタ・ファルコンズ戦でヤングは致命的な3本のインターセプトを喫して18-20でチームは敗れた。 1999年この年が彼の現役最後のシーズンとなった。長年脳震盪に悩まされていた彼は第3週のアリゾナ・カージナルスとのマンデーナイトフットボールで味方RBのローレンス・フィリップスがブロックミスをしてしまい、相手コーナーバックのアニーアス・ウィリアムズに激しくサックされた。ヤングは退場しその後残り試合も全て欠場した。彼は脳震盪とその後遺症に悩まされその年限りで現役を引退した。通算4,149回パスを投げてうち2,667回成功(64.3%)、33,124ヤード、232タッチダウン、107インターセプト。通算のQBレーティング96.8はNFL史上最高である。また、ランでも43タッチダウンをあげると共に、通算4,239ヤードを獲得しておりこれはQBとしてはランドール・カニンガムに次ぐ史上2位である。またプロボウルのタッチダウンパス記録も持っている。 1999年にスポーティングニュースが選ぶ偉大な100人のフットボール選手中63位にランクした。 背番号8は2008年10月5日のニューイングランド・ペイトリオッツ戦のハーフタイムにセレモニーが行われてナイナーズの永久欠番となっている。2005年にはプロフットボール殿堂入りを果たした。
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