タヒチ語と社会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 17:21 UTC 版)
1881年にフランスがタヒチを海外領土として併合したのに伴い、フランス人の到来とともにタヒチ社会にフランス文化の流入が始まり、タヒチ語やポリネシア文化が保っていた法制度や権威よりも優位に立つ言語や文化がもたらされた。それでも、一般大衆の間ではタヒチ語が生き残った。また、入植者によってもたらされた新しいものや考え方がタヒチ語固有の語として取り込まれた。やがて、タヒチ語は技術・文化面での革新に対応し、’ainati「インターネット利用者」や pehenē’i「CD」のように、外国語からの借用でなくしばしばタヒチ語独自の形でより現代的な概念を導入するようになった。 フランス領ポリネシアの人々は、一部が一言語の話者ではあるが事実上の二言語使用者である。太平洋におけるフランスの植民地支配はかなりの影響力を持ち、人々が受ける基本教育に関してフランス語はポリネシア社会で大きな存在感を持つに至った。それでもタヒチ語は安定した話者人口を保っており、人口の78パーセントがポリネシア出身であることを考慮に入れると、40パーセントがタヒチ語の話者だと見積もられる。 フランス領ポリネシアではそれぞれの諸島・島々に固有の言語があり、ソシエテ諸島ではそれがタヒチ語であるが、その各地域でフランス語が「リングア・フランカ」(標準語の権威を持つ言語)として通用する。「レオ・マーオヒ」をなす各々の言語の話者間の理解度は非常に低く、フランス語が各言語の話者の交流を容易にしていることは考慮しなければならない。また、フランス領ポリネシアで用いられるフランス語はもはやフランス語の方言にとどまらず、本国のフランス語とは別なものであることも強調しておくべきである。島々の住人がフランス語やタヒチ語の要素がより少ないピジン言語の一種を話す場合すらある。 21世紀に入る前後から、特にフランス領ポリネシアで新憲法が施行された2004年以降は、ポリネシア民族主義派や独立派すらをも含む政治勢力の影響下にある行政が、タヒチ語の話者数と社会での使用を回復させようという努力を行っている。とは言え、他の古いフランスの植民地のようにフランス語が現地の言語の座を奪って唯一の言語になる状況は避けられたものの、フランス領ポリネシアでフランス語が獲得した勢力は大きく、人々の間に深く根付いている。実際タヒチ語は地域で権威のある言語としてフランス語に対抗することはできない。まして、フランス語を行政の公用語ならびに公共の業務に用いる言語とし、タヒチ語を「島が保存すべき文化遺産」と低く位置づける基本的な法がある状況ではなおさらである。 フランス語に対する立場の回復という方針のもと、フランス領ポリネシア政府は2004年より初等・中等教育で言語の集中教育の企画に取り組んでいる。授業に用いられる言語は法律上も慣習上もフランス語ではあるが、フランス領ポリネシアの社会生活でフランス語が唯一の公用語であるとする法の枠内にとどまらず、教育の各段階で児童や生徒にタヒチ語の授業を編成した。 大学に関しては、「タヒチ語文献学」のような学位はないものの、フランス領ポリネシア大学でポリネシアの言語・文化に関連した高等教育が行われている。大学では、教育やジャーナリズムの専門家向けに、言語の知識や習熟度に応じた三つのレベルのタヒチ語講座を公式に開講している。このような言語政策がありながら、ポリネシア住民はタヒチ語を家族や友人、身近な集団に対して使うなど、その使用範囲は限られている。よってフランス語が公の場で用いられる権威のある言語にとどまっている。 マスコミに関しては、タヒチ語の存在感は明らかに増しており、タヒチ語のみで発行される新聞を数紙目にすることができる。ラジオ放送では様々な周波数でこの言語の放送を受信できる。ただしテレビでは、「タヒチ・ヌイ・テレビ」が開局しタヒチ語の存在感が増したものの、同局の番組は二言語またはタヒチ語のみのどちらかであり、その存在感は若干小さい。
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