タヒチからニュージーランドへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 01:25 UTC 版)
「ジェームズ・クック」の記事における「タヒチからニュージーランドへ」の解説
天体観測が終了するとすぐに、クックは航海の後半についての秘密指令を開封した。それは、海軍本部の追加命令に従って、伝説の南方大陸(テラ・アウストラリス、Terra Australis)を求めて南太平洋を探索せよ、という指令であった。金星観測(しかもエンデバー号のような目立たない小さな艦で)を隠れ蓑にすれば、英国にとって今航海は、ライバルのヨーロッパ諸国を出し抜いて南方大陸を発見し伝説の富を手に入れる絶好の機会となろう、と王立協会は考えたのである。この説の特に熱心な信奉者が王立協会会員のアレクサンダー・ダリンプルであった。 南太平洋の地理にきわめて詳しいトウパイアというタヒチ人の助力を得て、1769年10月6日クックはヨーロッパ人として史上2番目に(1642年のアベル・タスマン以来)ニュージーランドに到達した。クックは、いくつかの小さな誤り(バンクス半島を島としたり、スチュアート島を南島の一部と考えるなど)はあるものの、ニュージーランドの海岸線のほぼ完全な地図を作製した。また、ニュージーランドの北島と南島を分ける海峡(クック海峡)を発見した(アベル・タスマンは海峡ではなく湾と判断していた)。
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