スーフィーの修道僧としてとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > スーフィーの修道僧としての意味・解説 

スーフィーの修道僧として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 00:11 UTC 版)

ダルヴィーシュ」の記事における「スーフィーの修道僧として」の解説

イスラームの預言者ムハンマドハディース言行)のひとつに「我が清貧我が栄光」と述べたと言われており、イスラームにおいては清貧」(ファクル فقر faqr)はムスリム徳目一つとされている。このためイスラーム神秘主義スーフィズム、タサッウフ)の修行でも重要視され托鉢行や乞食行実践する修行者を「貧者」(ファキール فقير faqīr)と呼びダルヴィーシュ同義語として用いられた。 いわゆるイスラームの神主義思想にあたるスーフィズム(タサッウフ تصوّف taṣawwuf )はイスラームにおいて信者信仰精神などの内面重視し言葉による教義ウラマーなどの世俗的権威認めない思想・運動のことである。初期には人里離れた荒野苦行する個々修行者たちのことであり、文字通り貧者であった1213世紀頃から師弟関係授受修行方法集団化・定型化した教団組織タリーカ)が各地出現するようになり、スーフィー聖者ワリー)の廟墓を中心に宿泊施設伴った修行道場(ハーンカーフ خانقاه khānqāh )が建設されるようになった荒野での専心的な修行も通時代的継続されたが、同時に都市部でも修行施設得たことにより、聖者の廟墓(マザール)に接し聖者通じてもたらされる神からのバラカbaraka 祝福)を授けられることを期待して都市などでの社会生活営みつつ教団の構成員となる者が現れるようになったこうした都市部への進出によって、ダルヴィーシュやファキールと呼ばれた修行者たちは、スーフィズム民衆への浸透の役割を担うことになった都市生活修行者場合都市部商工業関わるギルドメンバー時には政治権力であっても全く貧者ではないものの「ダルヴィーシュ」と呼ばれた一方各種教団では女性修行者メンバーとして受け入れられており、「(女性指導者」( مقدّمة muqaddama)と呼ばれ女性サークル組織されるようになった13世紀になると、カランダル( قلندر qarandar)と称される托鉢行、乞食行行いながら各地放浪する修行者集団イラン高原各地出現するようになった。彼らは外見特徴的であり、眉や髪の毛、髭などを剃り特異な衣装まとっていた。これらもダルヴィーシュ呼ばれ乞食の際の施しを受けるためペルシア語カシュクール( كشكول kashkūl)と呼ばれるヤシの殻を半分割ったか、その形を模した舟形金属製を腰から下げるのが通例であった。現在でもこのカシュクール(キャシュクール)はダルヴィーシュ象徴的な持ち物とされており、乞食行禁止されていたベクタシー教団でさえも修行者ダルヴィーシュ持ち物として用いられていた。 ダルヴィーシュなどのスーフィー修行者たちは肉体酷使することで神を感得するという教義持ち様々な修行方法編み出されて来たが、代表的な修行方法としてはズィクル( ذكر dhikr)やサマーウ( سَماع samā`)がある。ズィクルは礼拝において神の名アッラーフ)を唱えることで神を讃美することだが、特にダルヴィーシュなどのスーフィー修行者たちにとって精神集中のための「称名」として重視され神秘主義教団組織化に伴い集団行われるようになった。サマーウはアラビア語で「聞くこと」を意味するが、音楽舞踊を伴う修行法で、ズィクルとも結び付き易くスーフィー修行者陶酔的な忘我状態に到るための有効な手段として広く行われて来たものであった教団組織タリーカ)の集団化によって様々な修行集団行われるようになったが、これらズィクルやサマーウの手法や規則も各教団様々なものが編み出された。 サマーウはトルコ語では「セマー」(semâ)と発音され、特にメヴレヴィー教団のものが有名であるが、歌舞音曲ともなったもので数時間にも及ぶことがあるスーフィー日本人にとってはしばしば、このセマー踊り手として知られるスーフィーイスラム禁止されている歌舞音楽など信仰に持込んだとしてトルコ共和国などでは禁教とされ、取締り対象となっている。セマーは、現在では観光客相手ショーとしての行われている。 ダルヴィーシュはこのスーフィズム修道僧、または托鉢僧のことである。粗衣(スーフ)に身を包みズィクル(連唱日本仏教称名念仏唱題相当する)に没頭しひたすら神を心に念じ続ける。一方でしばしば托鉢用の鉄なべ(キャシャクール)をぶら下げ、大斧を担いで遍歴の旅に出る、というイメージ語られる日本初めダルヴィーシュ修道僧として紹介したのは作家村上春樹であるといわれている。多く日本人にとってその行動様式僧侶イメージ限りなく近いが、イスラームには仏教のような出家在家区別はないのでその点は注意が必要である。

※この「スーフィーの修道僧として」の解説は、「ダルヴィーシュ」の解説の一部です。
「スーフィーの修道僧として」を含む「ダルヴィーシュ」の記事については、「ダルヴィーシュ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「スーフィーの修道僧として」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スーフィーの修道僧として」の関連用語

スーフィーの修道僧としてのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スーフィーの修道僧としてのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのダルヴィーシュ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS